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「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
参考書籍
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ドイツ、フランスの暗号解読
引用一九三九年の暮、そして一九四十年初も、ヒトラーは冴えない表情ですごした。
ろくな報告もニュースも、ない。
相次ぐ政治的成功と戦勝によってドイツの版図は拡大されたが、
軍需優先と生産低下のために石炭の国内供給が不足し、国民の間に不満の声がひろまっている、という。
ドイツ側はフランスの暗号解読に成功していた。
その成果として、フランス陸軍が対戦車砲生産と部隊訓練の不足に悩み、国境防備に欠陥があることもわかった。
西方国境に結集中のドイツ軍約二百万人にとっては、まさに進攻のチャンスである。
だが、ドイツ軍は動けず、ヒトラーも進撃を下令できない。
ヨーロッパの場合、戦争の主役は相変らずに陸軍だが、航空機の発達は、
空軍という傍役なしには主役が動けないほどになっていた。
その空軍の活躍を保証する好天期間の予測がつかず、
ヒトラーは戦機をつかめぬままでいるのである。
ムッソリーニの裏切り
引用陸軍参謀総長ハルダー大将の日誌に、次のように記述されている。
「一月七日、一〇〇〇、OKWカイテルより。開戦日が敵に知られている・・・・・・
一八二〇、OKWカイテルより。総統は開戦日が敵に知られていることを承知している」
駐伊ベルギー大使の“チアノ情報”を伝える暗号電報を解読した成果である。
ヒトラーは報告をうけると、形相を変えてイタリヤにたいする罵言を吐きちらしたが、
格別の措置は指示しなかった。
参戦前夜のイタリア、その実情
引用外相リベントロップには「五月ごろ」の参戦をほのめかしたが、
イタリヤ経済はとても早期の参戦を許さぬ事情にあった 【中略】。
軍備は遅れに遅れ、中には前世紀の「赤シャツ」党首G・ガリバルジ時代の旧式砲を配備されている部隊もあり、
軍需相C・ファバグロッサは、二月末、次のように首相ムソリーニに報告していた。
「全産業が二十四時間操業をつづけたとして、わが国が十分な軍備をととのえ得るのは、
最も早い時期が一九四九年です。
たぶん、実際には一九五九年までかかりましょう」
金融相R・リカルディは、
「わが国は年間二千五百万トンの食糧を輸入している。
中立を放棄すればこの輸入は絶えてしまう」
と述べ、「参戦即飢餓」だと強調した。
このような事情では、首相ムソリーニとしては「国家を救う」ために参戦を拒否せざるを得ない。
「昔話に、絞首刑をいい渡された罪人が、最後の頼みをきいてやるといわれて、
首をつられる樹を選ばせてくれ、といって許可された。
そして、結局は、どの樹も気にいらぬといいつづけて生きのびた、という話だ」
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.123
「無抵抗主義」デンマークの決定
引用王宮の外で銃声がわき起こった。
ドイツ軍部隊が桟橋から隊伍を組んで行進してきたので、王宮警衛兵が発砲し、独軍が応射したのである。
国王クリスチャン十世は、直ちに発砲停止を命じ、受命した警衛兵は静かにドイツ側に歩み寄って申告した。
「失礼だが、当方は戦闘を中止します。
国王陛下のご命令が下りましたので」
隊長は、眼をむくドイツ兵の前で背をむけ、再び閲兵式なみの歩調でひき返した。
ドイツ軍部隊はぞろぞろと王宮に入り、数人を要所に配置すると、近くの陸軍本部にむかい、
同様の占領措置をとって次の目標にすすみ、容易に首都管制作戦を実施した。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.158
「無抵抗主義」デンマークの戦争
引用午前七時すぎ、国王の名による停戦命令が放送された。
早朝のラジオ放送で事態を知ったユトランド地方のデンマーク市民は、次々に半旗をかかげ、窓を閉じてドイツ軍部隊の進駐に背をむけた。
首都コペンハーゲンは、平静のままに四月九日の朝をむかえた。
市民たちもラジオで異変を承知していたが、それ以上の事情はわからず、
平日どおりに職場に出動した。
首都を制圧したドイツ軍は、わずか一個大隊である。
街には、王宮を中心とする区域に戦車、装甲車、少数のドイツ兵が点在するだけである。
所々に、デンマークはドイツの占領下にある、しかし、独立と自由は保障される、抵抗は流血を招く、
といった趣旨のドイツ軍指揮官の布告が貼付されていた。
ちらと横眼で一べつして通りすぎる者、立ちどまって熟読する者など、
市民男女の反応の態様はさまざまであったが、ドイツ軍にたいしても事態の急変にたいしても、
無関心に似た冷静さを維持する点については、デンマーク国民は一致していた。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.159
ドイツの総攻撃直前のフランス中枢
引用首相レイノーは、ヒトラーが『黄色作戦』発動の意向を示した四月二十七日、ロンドンの英仏最高会議に出席して帰ると、
悪性感冒にかかって一週間の静養を医師に命じられてしまった。
【中略】
首相は私邸に将軍、閣僚、議員その他を招いて執務したが、
直接に「政治」したのは、なんと首相の愛人ド・ポルト伯爵夫人エレーヌであった。
『パリ・ソワル』紙記者P・ラザレフによれば、要務で首相を訪ねると、夫人が要人たちの会議を「主宰」し、
「横柄な口調」で「助言したり命じたり」していた。
記者ラザレフが首相との会見を求めると、夫人エレーヌは「だめ。私が代わりよ」と答えた。
夫人エレーヌが、首相と相談するために退出すると、記者ラザレフによれば、
大臣や将軍たちは、とたんにガヤガヤと夫人の悪口を述べたてた。
「昔は、あの種の女は日蔭で暮らす節度を持っていたもんだが」
「さよう。それが“愛人道”というものだ。近ごろの女ときたら・・・・・・」
「同感だ。これでは国家の将来が思いやられる。奸婦ですぞ。あの女は」
だが、夫人エレーヌが帰ってくると、一同はピタリと口をつぐみ、「真面目な態度」で婦人と国務を討議した、
と記者ラザレフは報告している。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.195
ガムラン総司令官の病
引用総司令官M・ガムラン大将は、パリ市東端バンサンヌの総司令部地下壕で、十日午前一時、
第二部からの急報を受理した。
ドイツ国内の諜者が、独軍は西進を開始した、と伝えてきた、というのである。
大将は、副官がさしだす通信文を読み終わると、うつろな視線を宙にすえ、ぼんやりと寝室にもどっていった。
副官は指示を期待して待機したが、一時間をすぎても大将からの音沙汰はないので、退出した。
のちに、ガムラン大将は調査委員会で次のように証言する。
「われわれは五月九日、独軍が、翌日に攻撃してくることは知らなかった。そのような兆候は無かった」
この大将の証言は、仏軍将校の多くを驚かせ、大将の「偽証」を非難する声も起こった。
だが、大将には「偽証」の意思も自覚もなく、その様子は不可思議に思われたが、現在ではその理由は明白になっている。
じつは、仏軍総司令官M・ガムラン大将は、神経梅毒に脳をおかされていたのである。
イタリヤ首相B・ムソリーニも同病者であり、当時の一般的医療法である水銀性抗梅毒剤「サルバルサン」の投薬で悪化をおさえていた。
ガムラン大将の場合も、はじめは「サルバルサン療法」をうけていたが、
一九三二年、同三三年に「マラリア療法」をうけて、快方にむかった。
そのおかげで知性を回復して大将にも進み、総司令官兼参謀総長の要職にもついたが、実際には快癒も一時的で、
年月の経過とともに大将の脳は荒廃していたのである。
【中略】 第二次大戦の開幕前後にみられる大将の不決断、無気力、さらには支離滅裂な言動は、
大将に接触した人々のほとんどが回想している点である。
開戦になってからも、大将は、総司令部の地下の居室にとじこもって「瞑想」にふける姿勢をつづけ、
C・ドゴール大佐は、総司令部の雰囲気を「僧院」と描写した。
現実には、大将は、神経梅毒によって「考えをまとめる能力」が低下して、呆然としていたのである。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.202
ロンメル司令官のトリポリ第一夜
引用その夜、トリポリ市内のホテルで、北アフリカ伊軍総司令部主催の歓迎夕食会がひらかれた。
イタリヤ軍将軍たちは、しきりにロンメル少将のフランス戦での武勲を賞讃したが、そのうち、
将軍の一人が少将が第一次大戦で鉄十字勲章を受勲していることを想いだし、どの戦役での手柄でうけたのか、と質問した。
「ロンガローネ」
「・・・・・・」
ぶっきら棒な少将の一言に、将軍たちは絶句した。
数人の顔はひきつり、蒼白になっている者もいた。
ロンガローネは、イタリヤ陸軍史上の汚点として記憶される。
一九一七年十一月、わずか一個大隊のドイツ軍部隊にイタリヤ軍一個師団が敗北させられ、約八千人が捕虜になったのである。
イタリヤ軍将軍たちは、その戦例は知っていたが、当時のドイツ軍指揮官が誰であるかは知らなかった。
実際には、一個師団のイタリヤ軍降伏の端緒をつくったのは、
わずか二十五人の部下を率いた小隊長E・ロンメル中尉の執ような攻撃であったのである。
「あの小隊長が・・・・・・」
一座にかすかな嘆声が流れたが、かつてイタリヤ陸軍に汚辱を刻印したドイツ軍将校を、
いまは“救世主”として迎える心理的衝撃に耐えかねてか、そのご、主催者側の将軍たちの会話はとだえ、宴会は早や早やと終了した。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.452
ユーゴの反「三国同盟」クーデター
引用三月二十七日―
まず午前十一時に日独外相会談がおこなわれたが、その一時間半前、午前九時三十分、ヒトラーは意外な報告をうけた。
「三国同盟」参加が発表されたあと、ユーゴ国内の各地で反対運動が展開されているとのニュースが伝えられていたが、
前夜、首都ベオグラードで空軍によるクーデターが発生した。
摂政パウルとツベトコヴィッチ内閣は倒れ、未成年(十七歳)の国王ペテル二世が「成年に達した」旨が宣言され、
次いでその即位が発表された、というのである。
【中略】
・・・・・・新首相には“共産主義者”とみられる空軍司令官D・シモヴィッチ中将が就任し、直ちに組閣した。
・・・・・・ドイツ領事館にデモ隊がおしかけ、ドイツ旅行社の事務所は破壊された。
スウェーデン公使館員がドイツ人と誤認されてデモ隊に襲われ、負傷した。
・・・・・・英国領事館、米国領事館も襲撃され、いずれも国旗が引き裂かれた。
・・・・・・デモ隊は『赤旗の歌』をうたっている。
・・・・・・新政府は「三国同盟」加盟は批准せず、代わりに不可侵条約をドイツと結ぶ意向を表明している。
【中略】
「これは明白な裏切りだ。だが、敵がいま素顔をさらけだしてくれたのは、われわれにとっては好都合だ」
【中略】
対ギリシャ作戦『マリタ』や対ソ作戦『バルバロッサ』が発動されたあとでユーゴに内紛が発生しては、
後方を脅かされて両作戦に影響をうける。
いまのほうが処理しやすい、との表意である。
「ユーゴは膺懲されねばならない。いや、抹殺しておくべきだ」
ヒトラーの双眼に暗い怒りの炎が燃えあがり、主要幹部会議の招集が指示された。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.476
1941年3月27日、ユーゴの反独クーデターの歴史的意味
引用ヒトラーは、ユーゴ作戦を電撃的に遂行するには強力な兵力の投入が必要になる、と指摘して、言明した。
「このため、『バルバロッサ』作戦は四週間ほど延期せねばならないだろう」
会議の前に協議した統帥局長ヨードル大将の献策による発言であったが、この作戦延期命令は、
のちに対ソ戦だけでなくナチス・ドイツの命運を左右する誤判断として回顧される。
四週間の延期は、例年よりも早いソ連の冬期の訪れと連結して独軍の敗北をさそい、ひいてはドイツの敗戦の主因になるからである。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.479
外相は、日本には虎穴に入らずに虎児を得ようとする臆病なインテリ階層が支配階級に巣くっている、といい、
「自分は、ヨーロッパ戦争が勃発していらい、個人としては、日本はシンガポールを攻撃して英勢力を駆逐し、
然る後に三国同盟に参加すべきだとの意見を持っていた・・・・・・」
しかし、四囲の情勢は「三国同盟」参加を先行させることになった。
それでもシンガポール攻撃にたいする自分の考えは変わらず、問題は攻撃の時期だ、と外相は強調した。
「自分の考えでは、攻撃は早ければ早いほどよい」
「不幸なことだが、自分は日本を支配していない。
が、いずれ日本の支配的地位にいる人々を、自分の見解に同調させることができるはずだ」
「・・・・・・?」
「しかし、このような環境なので、現時点では、自分としては日本帝国を代表して行動に出る旨を約束することは、できない」
「それは、『征服せず、圧迫せず、搾取せず』というスローガンに表現できる・・・・・・日本は、
新秩序建設のために武力行使に迫られる場合でも、このスローガンを守る」
「・・・・・・?」
では、つまりシンガポールは攻撃しないのか、とヒトラーが再び疑惑を感得していると、外相は、
話題を往路のモスクワでのソ連首脳との会談に転化した。
【中略】 ソ連首相スターリンも英国を「日独ソ共通の敵」とみなした、という。
では、やはり対英戦にふみきるつもりか、とヒトラーがひそめた眉の間隔を押しひろげると、外相は、
日本の天皇制を話題にした。
「天皇が国家である。日本国民すべての生命と財産は天皇に帰一する。
すなわち、天皇が国家であり、それが日本的な全体主義国家思想だ」
なにをいいだすのか、とヒトラーが三度不審の想いにとらわれていると、外相は、
しめくくりの形で述べた。
「一国民が貴総統のような存在を見出すのは、千年に一度のことだろう。
日本国民はまだ彼らの総統を発見していない。
しかし、そのような人物は時代の要請に応じてあらわれ、決意をもって国民を統率するだろう」
「・・・・・・?」
松岡外相自身がいずれ「日本の総統」になるつもりだ、との意味にもうけとれるが、その前に外相が指摘した天皇の存在と照合すれば、
日本には「総統」は出現しそうにもない。
なにがなんだか、よくわからなかったらしい。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.481
引用副総統ヘスは、【中略】 近所に住む副官K・ピンチ大尉に電話した。
「お早う、大尉。良い天気だ。きょう決行するつもりだ。気象情報を用意して・・・・・・そう、午後二時に来てもらいたい。
離陸は午後六時にしよう」
「わかりました。閣下」
電話線の彼方で簡潔な大尉の返事がひびき、会話はそれだけで終わった。
決行―とは、副総統ヘスが英独和平工作のために自身で英国に飛行する計画の実施である。
副総統ヘスの「独断」であり、その意味では違法行為でもある。
だが、副官ピンチ大尉は、あっさりと副総統ヘスの指示に承服した。
【中略】 副官ピンチ大尉はすでに計画を承知し、それが「ヒトラーの意を体して」のものであると理解していたからである。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.522
ヘスの思惑
引用かつて一月の飛行失敗のあと、副官ピンチ大尉に英国行計画をうちあけたとき、副総統ヘスは、
次のように公爵ハミルトンとの対面の情景を想像してみせていた。
「いいかね、大尉、公爵の居城を私が訪ねる。
取次ぎの執事にハウスホーファの名刺をわたす。
名刺を見た公爵は、むろん、友人のハウスホーファが手紙で通告したとおりに会いに来たと思うだろう。
そして、公爵はどうするか? それは公爵の自由だが、
かりに警察か軍にひき渡そうと考えたにしても、とにかく私をなかに入れるだろう。
ところが、公爵の前に立ったのは、ハウスホーファではない。私だ。副総統ヘスだ!
そのあと、なにが起こるかは推察できない。
が、最悪の場合でも、私は彼に来訪の目的を語り、然るべき政府代表と国王との会見を申し入れることができるにちがいない・・・・・・」
どうだ、大尉、それだけでもすばらしいじゃないか―と、
副総統ヘスは、うっとりと視線を宙にすえて語ったものである。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(3)」
P.543
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