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「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(2)」
参考書籍
書籍: 文庫(526ページ)
目次: トハチェフスキー元帥の粛清 |
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ヒトラーの奇病
ヒトラーは、この年、一九三六年秋ごろから、たぶん粗末な菜食生活のおかげらしいが、胃けいれん、不眠症、
足の湿疹などに悩んでいた。
症状はいずれもひどくなるばかりで、足の湿疹は靴をはくにも苦痛を感ずるほどになった。
胃けいれんのためにしばしば会議を中座し、不眠症は容ぼうを急速に老化させた。
そのうえ、心臓の圧迫感、便秘、「統制不可能な放屁癖」までが付属し、意気消沈したヒトラーは
愛人エバに次のように述懐していた、という。
「私は間もなくお前と別れることになるだろう。
こんな老人相手ではどうにもなるまいからね」
ズデーテン割譲勧告
九月十九日午後二時、チェコの首都プラハに駐在する英公使B・ニュートンは、仏公使V・ド・ラクロワと同道して
大統領E・ベネシュを訪ね、英仏共同勧告書を手交した。
内容は、チェコがズデーテン地方を割譲しなければヨーロッパの平和もチェコの国益も維持できなくなる、
との主意で、人民投票による決着も混乱を招きかねないので「直接割譲」をすすめる、というのである。
そのごのチェコの安全保障には協力する、という項目もあるが、
それには「軍事的性格の相互義務を含む現存条約を放棄する」ことが条件になっていた。
そして、二十二日に英独首脳会談が再開されるので至急に回答してほしい、という。
昼食後の安楽な気分で応接していた大統領ベネシュは、一瞬に顔色が蒼ざめ、胃を押さえた。
急激な緊張のために胃の活動が不良となり、痛みにおそわれたらしい。
チェコは、 【中略】 第一次大戦の産物としてオーストリアから派生した国である。
その誕生の産婆役をつとめたのは英仏であり、チェコの安全についても、ソ連との条約はフランス、
フランスとの条約は英国の協力が条件になっているように、両国が保障する体制になっている。
それなのに、ドイツとの戦争が嫌だからといって、もともと関係がないドイツに領土を割譲せよと迫り、
今後は軍事同盟も結ばない、という。
ソ連も単独ではチェコ防衛に立ち上らない以上、つまりはチェコの保護から手を引くというにひとしい。
自分たちが作ってやった国だから自分たちでどうにでも処理できる、と考えてでもいるのだろうか。
「要するに、わが国は見捨てられたわけだ」
大統領ベネシュは、痛む胃をさすりながら、割譲勧告は承知できない、一部の割譲は国家全体が併呑される一歩にすぎない、
と二人の公使に強調した。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(2)」
P.218
ミュンヘン会談開催の歓喜
英首相チェンバレンがその電報を受理したのは、午後四時十五分、ちょうど議会で対ドイツ交渉の経緯を説明中であった。
「過般来、致国(チェコ)問題は紛糾を重ねありしが、結局は弱国の犠牲によりて大国が戦争を免れたり」
とは、日本の外相宇垣一成がいち早く下した“判決”であるが、
その種の冷静な観察をする余裕を持つ者は当時の「大国」には稀少であった。
ロンドン、パリ、そしてニューヨークでも、ひたすらに戦争回避を喜ぶ市民が街頭で踊った。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(2)」
P.239
午後一時四十五分に開始された会談は、およそ首脳会談にふさわしくない「乱雑な雰囲気」がつづいた。
議題も議事次第も議長も、会議の進行に必要な手続きがなにひとつ定められていなかったからである。
「今日じゅうに妥結しよう。
わずか二十四時間の遅延も新たな不安と不振を招きかねぬ」
ムソリーニ首相は、今回ばかりは「拙速も正義」だと強調したが、なにせ会議に秩序がないのだから、
各首脳はわれ勝ちに発言し、通訳P・シュミットは、待って下さい、まず私に翻訳させて下さい、
とうるさい生徒に往生する小学校教師なみに汗だくになった。
ムソリーニ首相は、しかし、そうなると、かえって楽しくなったらしい。
英仏独三首脳はそれぞれ自国語しか話せないが、ムソリーニ首相は、いずれも下手でイタリヤなまりがひどかったが、
英語もフランス語もドイツ語もしゃべれる。
そこで、いつの間にか通訳シュミットを押しのける形で三国首脳の言葉を仲介し、自然に会議の主宰者になった。
「みんな私を見ておった。まことに愉快な日だった」
ムソリーニ首相は、会談後、首相の通訳に配置されていたSS(親衛)隊大尉E・ドルマンにそう述懐している
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(2)」
P.241
ミュンヘン協定の反響
チェコ政府は、午後零時五十分、「われわれは見捨てられた」と言明して「ミュンヘン協定」受諾を発表し、
英仏伊三国首脳はいずれも凱旋将軍なみの歓迎をうけて自国に帰った。
英首相チェンバレンは、ロンドン空港に到着すると、共同声明文をふりかざして出迎えの外相ハリファクス卿に叫んだ。
「やったぞ・・・・・・私はやったぞ」
そして、その気持ちは世界の国民多数に共通していた。
世界大戦が回避された、との喜びは大きく、帰国する伊首相ムソリーニの列車は、
どの駅でも跪いて謝意を表明する市民の群で迎えられた。
「今般閣下のおさめられたる光輝ある外交的成果に対し、
茲に余の満腔の祝意を呈すると共に閣下並にドイツ国民に対する敬意を表す」
だが、なんといっても祝意と謝意は英首相チェンバレンに集中した。
元ドイツ皇太子ウィルヘルムが、平和確保を感謝する秘密書簡を首相に送れば、
オランダに亡命中の元皇帝ウィルヘルム二世も英皇后メリーに、
「天の声にはげまされ神の導き」で災禍を回避してくれた、と首相を讃える手紙を伝達した。
英首相にノーベル平和賞を、という声が高まり、英国内では感謝醵金運動が起り(註、首相は辞退した)、
パリでは街のひとつを「チェンバレン」と命名する動議がおこなわれた。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(2)」
P.247
議会をひきあげた閣僚の一部は、蔵相G・サイモンの部屋に集結した。
内相兼保安相J・アンダソン、陸相L・ホアペリシャ、ランカスター公領尚相W・モリソン、植民地相M・マクドナルド、
農漁相R・ドーマンスミスの五人である。
農漁相ドーマンスミスによれば、蔵相サイモンを中心にした六人は、厳粛に決議した。
「われわれは(対独)宣戦まで、この部屋を離れない。
われわれはストライキに入る」
午後九時すぎ、蔵相サイモンは首相に電話して一同の決心を伝え、速やかな決断と閣議招集を建議した。
首相チェンバレンは、突然の“閣僚スト”に仰天した。
外相ハリファクス卿を招き、震える声で告げた。
「紳士が労働者をまねてストライキだという。
恐ろしい世の中だ・・・・・・このぶんでは、われわれが立場を明らかにしないと、
内閣は明日の議会再開までもたないだろう」
外相も同感に意を表明し、問題はフランスの態度如何である、このさい仏首相と直接に交渉してみてはどうか、と進言した。
フランス側の態度は、しかし、それまでの間にさらに「英国離れ」の傾向を強める気配をみせていた。
仏閣議は、【中略】 午後七時半からはじまり、ロンドンで一部閣僚がストライキを議決した午後八時半頃、終った。
閣議では、翌日正午に予期されるドイツの回答待ちをしたい、それまでは行動に出まい、という外相ボネの提案に、
植民地相G・マンデル以外の全閣僚が賛成した。
閣僚たちの胸中には、英国がフランスを戦わせようとしている、そそのかされて英国のために血を流すのはまっぴらだ、
という想いが共通してわだかまっていた、と外相ボネは回想する。
「たまには英国の一歩あとを歩く、その楽しみを教授してもいいと思うがね」
運輸相A・ドモンジーがいうと、陸軍参謀総長ガムラン大将が、したり顔でつけ加えた。
「英国に同意してもよろしい。
ただし、英国側がわが国の防衛のために英空軍をわれわれの指揮下に置く、というのであればですが・・・・・・」
運輸相ドモンジーは、英国がドイツ軍撤兵にこだわるのなら、
たとえば「数マイル程度の象徴的撤兵」をドイツ側に打診してはどうか、と提案した。
この「象徴的撤兵」案は、外周ボネからイタリヤ外相チアノに伝えられ、すでに仲介中止をドイツ側にも通告していたチアノに、
にべもなく拒絶される。
以上―のような仏政府の様子は、英首相チェンバレンは知らない。
首相は、仏首相ダラディエに自身の困難な政治的環境を報告し、
とても明日正午まで待って四十八時間の期限付き最後通告をだす方策には同意できない、
今夜じゅうに決断しないと内閣は倒れる、と訴えて、英国側の腹案を伝えた。
「当方としては、明朝午前八時にドイツに最後通告を渡し、正午までに受諾回答なければ同時刻に戦闘状況に入ることにしたい」
仏首相ダラディエは、とにかく何事も翌日正午まで待ちたい、といい、
参謀総長ガムラン大将の発言を想い浮かべながら、主張した。
「いずれにせよ、英空軍がいま出動できないのであれば、
フランス軍にたいする(ドイツの)攻撃を数時間でも遅らせるべきだと思う」
仏首相ダラディエは、そういうと、いまはこれ以上はいえぬ、また電話する、といって電話をきった。
その直後、午後十時、また駐ポーランド大使ケナードから英国の宣戦を勧告する急電が英外務省に届き、
午後十時三十分、こんどは英外相ハリファクス卿が仏外相ボネに電話した。
英外相は、英国は単独でも対独最後通告をせざるを得ない事情にある、と強調した。
仏外相ボネは、あわてた。
そのような事態になっては、英仏の離間と分裂を全世界に宣伝することになるし、仏国民に孤立感を与えかねない。
仏外相は、両国の共同動作が望ましい、と応えたが、なお翌日正午まで待てぬかといい、
英外相は、それでは英政府が倒れる、と反対した。
「正午を重視されるなら、英国は午前八時、貴国は正午に最後通告をだすことにしてはいかがか」
仏外相は、婦女子の疎開に時間が必要だ、と指摘したが、結局は、
翌日に英国より四時間遅れの正午に対独最後通告を提出することに同意した。
「では、そのさい、ドイツ側の回答期限は午後六時までとされることを勧告する」
この英外相の進言に仏外相は答えなかったが、英国側にとっては、
フランスが後続を約束したことで最後通告つまりは宣戦の方針を確定した。
英首相チェンバレンは、午後十一時すぎ、蔵相執務室で「坐り込みスト」を決行中の閣僚六人にも連絡して、
緊急閣議をひらいた。
スト閣僚たちは、待機中にアルコールで気勢をあげていたので、プンプンと酒臭をまきちらしながら集合した。
首相チェンバレンは、英政府としては明朝午前八時に最後通告、議会再開の正午に宣戦という筋書を考案したが、
フランス側の同意は得られなかった、と経緯を説明した。
閣僚たちは、ときに質疑をはさみながらも、首相が決断を下したことに敬意を表明し、冷静な態度で終結した。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(2)」
P.463
1939年9月の西部戦線
英仏国境では、この日も仏軍に出征の気配は無く、両軍が対峙する第一線の雰囲気はのどけさを保持していた。
ライン川をはさんだ独仏軍陣地では、互いに大型スピーカーをすえつけて、「俺のほうからは射たない」とわめきあった。
川の中央に達しない限度で双方とも水浴びを楽しみ、ついでにワインびん、食糧品を投げて交換したりした。
逃亡してきたフランス兵は、自分たちは戦闘を禁止されている、小銃一挺に実弾五発しか支給されていない、と告白した。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(2)」
P.484
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