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「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(7)」
参考書籍
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パリ解放の朝
例によって、各部隊は歓迎市民の歓声とキスとプレゼントの渦にまきこまれて行進した。
「約二十キロほどの沿道を埋めた何千という人々が、われわれに握手を求め、
ワインや食料を差し出そうとして、われわれの前でひしめきあった」
米軍第二十連隊のF・バーグ少佐は、その市民の姿を「最大の幸福感の発露」と描写しているが、
南から近づく市民たちの歓喜のどよめきは、むろん、市内の拠点で待機する独軍にも聞こえた。
防衛司令官コルティッツ少将が、視察を終えて司令部のホテル『ムーリス』に帰着すると、その喚声は一段と近づき、
司令部の電話にフランス語、英語がとびこんできた。
米兵、フランス兵のいたずら電話だが、やがて銃砲声がひびき、“解放部隊”と独軍守備隊の戦闘が開始された。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(7)」
P.284
パリ市民の復讐
パリ市民にとって、独軍からの解放は、同時に「報復への解放」でもあった。
四年間の独軍支配下の刻苦、辛抱、怨念、恐怖などの思いは、そのまま捕虜になった独軍将兵にたいする憎悪にかわり、
手をあげて出てくる独軍をみると、いっせいに男女はとびかかり、なぐりつけ、あるいは射殺、撲殺したりした。
おかげで、そのような仕打ちを避けるべく、最後に残した拳銃弾で自決する独軍将兵もいた。
憎しみは、しかし、外国人である独兵よりは、むしろ独軍に協力した同胞にたいするもののほうが激しかった。
独軍将校と恋愛におちいり、あるいはガールフレンドになった女性たちは、頭髪を剃られ、まっ裸にされ、乳房に鉤十字を描かれ、
「私はドイツ兵相手の娼婦でした」と書いたプラカードを首からぶら下げさせられて、街をひきまわされた。
それと知った独軍将兵の“愛人”女性たちの中には、追及と“処刑”をまぬがれるべく、あるいは入城したフランス兵に抱きついて離れず、
あるいは連行される元愛人にツバを吐きかけて「愛国心」を誇示する者も、少なくなかった。
占領下の傀儡政権・ヴィシー政府の職員も、ねらわれた。
フランス市民の中には、【中略】 自発的に独軍に参加した男女もいたが、この日に憎悪の対象になったのは、
ビルの屋上に配置された民警であった。
治安維持のためであり、多くは独軍を狙撃さえしたが、傀儡政府に所属する者イコール利敵行為者イコール裏切り者、
という論理にしたがい、次々に捕らえられ処刑された。
「コラボ」(註、コラボレイターの略)と呼ばれる「対独協力者」には裁判も用意されたが、
それは誰かが「殺せ」とどなれば死刑が判決される式のもので、この日にそんな即決裁判で処刑された者は「数千人」におよぶ、という。
時間がたつにつれて「復習の狂宴」の興奮度は高まり、街は銃声と喚声と悲鳴につつまれ、まきぞえをくう市民も増えた。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(7)」
P.291
モレル療法の真相
軍医ギージングは、主治医モレルがヒトラーに投薬している整腸剤を自分でも服用してみた。
結果は、光線忌避、渇き、食欲不振、味覚弱化、胃けいれんなど、ヒトラーと同じ症状が発生し、
錠剤を分析してみると、ストリキニーネとアトロピン、つまり毒性の強い鎮静薬が主成分であった。
「わが総統。これは遺憾な事実ですが、総統がスターリングラード戦当時から服用されているモレル医師の整腸剤は毒薬であります。
換言すれば、総統は継続的に服毒させられていたことになります」
「そうか・・・・・・あの薬は体内のガスを吸収するものだと聞いていたが・・・・・・」
ヒトラーは、しぶる下腹部をおさえながら力無くつぶやいた。
夕刻、ベルリンから飛来した教授ブラントも、軍医キージングの説明をうけると、主治医モレルの「犯罪的無知」を指摘し、
その解任を献言した。
「誰にでも自分の主治医を選ぶ権利がある。
私は、君と同じくモレルも選んだのだ」
主治医モレルは、観念した。
ナチス・ドイツの恐怖政治の元締めともいうべきSS総司令ヒムラーににらまれては、逃れるすべはないからである。
率直に、ヒトラーの病気・黄疸を秘匿したこと、恒常的に投与してきた整腸剤が毒性の強いものであることも、告白した。
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(7)」
P.419
ロンメル服毒死
―書斎では、
ロンメル元帥が、夢想外の事態に直面していた。
二人の将軍は、すすめられた着座を固辞し、いきなり高級副官ブルクドルフ中将が言明したのである。
「閣下は、総統暗殺をたくらんだ叛逆罪の訴追をうけておられます」
眼をみはる元帥に、中将はOKW長官カイテル元帥の書簡をわたし、読み終わるのを待って、
元フランス軍政司令官K・シュティルプナーゲル大将、同参謀C・ホーファッカー大佐、
元「B方面軍」参謀長スパイデル中将の供述書を次々に朗読した。
いずれも元帥が“一味”に加担する意思を表明したとの内容であるが、とくにロンメル元帥が衝撃をうけたのは、
スパイデル中将の自供である。
「(ロンメル)元帥は計画の指導者の一人であり、不測の負傷のために直接参加がはたせなかった」
元参謀長スパイデル中将はそう述べた、というのである。
あまりにも意外な内容なので、ロンメル元帥は気失したように呆然としていたが、やがて唇をひきしめたのち、
ブルクドルフ中将に質問した。
「このことは総統は承知ずみか?」
その通りだ、との返事を聞くと、元帥は、さびしげにうなずいた。
「よろしい。私は軍人だ。最高司令官の命令に従う」
高級副官ブルクドルフ中将は、局次長マイセル少将の退室をもとめ、指示されたとおりに、元帥が自決されるなら「真相」は秘匿される、
国葬をおこない家族の安泰と生活は保障される、と述べた。
ロンメル元帥は、この家は包囲されているのか、と質問し、「完全に」との回答をうけると、覚悟を定めたとみえ、
自身の「死の手続」について、冷然と次のような問答をかわした。
「ここではまずい、貴官の車で適当な場所にはこんでもらいたい」
「承知しました。ご遺体はウルム市のワグナーシューレ病院に安置する予定です。その途中で・・・・・・」
「私は負傷のために拳銃がうまく使えぬかもしれぬ」
「その点の用意もあります。三秒間で解決する適切な薬品です」
「葬儀はウルム市でやってもらいたい」
「お約束致します」
「あと、どのくらいの余裕があるのか」
「十五分間です」
ロンメル元帥は、よし、とうなずき、書斎を出ると、夫人ルシーが待つ二階の寝室にむかった。
高級副官ブルクドルフ中将は、局次長マイセル少将をまじえた副官二人の歓談に加わり、陽気に笑声をふりまいた。
ロンメル元帥は、「私は十五分間以内に死ぬ」と夫人ルシーに事情を語り、次いで息子マンフレートにも説明した。
息子マンフレートは、事態の急変に驚き、「防戦」を提案したが、元帥は否決した。
このような場合には警察ではなく、SS、軍隊が出動するが、その態勢がいかに「万全」であるかは、
ほかならぬ元帥自身が知悉している。
それに、少数の幕僚、副官、従兵で抵抗しようにも、武器は拳銃にとどまり、その弾丸も極端に少ない・・・・・・。
元帥は、副官アルディンガー中尉を呼び、あわただしく説明し、かつ抵抗禁止を指示して、
「死の旅」に出発するために階下におりた。
夫人ルシーは部屋を出ず、息子マンフレートが見送る。
召使ロイストルが、元帥に革コートを着せ元帥杖をわたした。
ロンメル元帥は、財布と玄関の鍵を息子マンフレートに与え、門前で待つ二人の将軍の乗用車にむかった。
車から少し離れた位置に、ヘルリンゲン村民男女が群集していた。
むろん、元帥が死にに行くとは知るすべもなく、国難を打開するために出陣するとのうわさを耳にして、
その「壮途」を見送りにきたのである。
元帥杖をふって会釈した元帥は、ふり返った。
そして、五十二歳の父・元帥は、十五歳の息子の手をにぎり、黙って車にのりこんだ。
午後一時五分、二人の将軍ものせて自動車は出発した。
運転手ドーズ軍曹によれば、出発して約二百ヤードも走ったと思うと、高級副官ブルクドルフ中将が空き地に停車を命じ、
局次長マイセル少将と軍曹に散歩を下令した。
数分間後、中将の指示で返ってくると、ロンメル元帥はすでに後部座席で前のめりに倒れて絶命していた。
午後一時二十五分、元帥の遺体はウルム市のワグナーシューレ病院にはこばれ、医師は検屍を主張したが、
高級副官ブルクドルフ中将は「ベルリンの命令だ」といって制止し、「戦傷による大脳動脈栓塞のため死亡」という診断書をととのえさせた。
総統本営『狼の巣』で報告をうけたヒトラーは、副官K・プトケイマー海軍少将につぶやいた。
「また一人、古い戦友を失った」
児島襄 「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(7)」
P.446
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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