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ヨーゼフ・P・ゲッベルス
1897 - 1945
宣伝相、ナチス党中央宣伝部長 / ドイツ
エピソード 1ヒトラーがベルリンの地下壕で自殺しようかというとき、
ヒムラーやゲーリングは、ベルリンから離れたところでヒトラーの後釜をねらっていた。
ナチス最高幹部の中でヒトラーに殉じたのは一人ゲッベルスのみ。
しかも、それ以前、彼は妻と六人の子供たちをヒトラーの地下壕に呼び寄せている。
敗色濃い地下壕の中で、「総統おじちゃん」はゲッベルス・ジュニアたちの明るさにどれほど癒されただろう。
彼らもまたヒトラーに殉じている。
死に様が、その人の生き様を表しているとすれば、ゲッベルスは今よりもう少し評価されていいかもしれない。
引用イギリスの歴史家ヒュー・トレヴァー=ローパーは、ゲッベルスを寄生虫と呼び、かれは
「本質的には、言葉とイメージとジェスチャアだけの人間だった。
理念も信念もなかった。積極的な目的ももたず、ナチの掲げる人種・血・東方帝国建設などの目的も、
それほど意義深いものとは見ていなかった。
彼の人生はすべて、何かへの反応が中心であり、自ら行動をおこすことはなかった。
・・・・・・こうして知的・政治的機敏さが生まれた。
自分が客観的すぎ、偏見をもたぬことに、むしろ自分で自分にいやけがさしていた。
だが偏見のないことは、信念のないことの裏返しだった。
現実的な見方ができることを自慢していたが、それも宣伝上、現実を曲げる手段として必要だとみていた。
理念といえばほとんど借りもので、ヒトラーを発見するまでは、次から次へとイデオロギーを変え、
ニヒリズムと憤りに満ちた空虚な生活をしていた」と書いている。
木村英亮 「二〇世紀の世界史」
P.100この本を入手
引用ゲッベルスは一八九七年生まれのルール出身で、身長百五十センチという小男だった。
大学で歴史と文学をまなび、戯曲を書いたこともある。
その後、銀行員になったり、株式取引所の場立ちになったりしているうちに、ナチスに入った。
はじめは、幹部の一人であるグレゴール・シュトラッサーの秘書をしていたが、ヒットラーと出会ったことで、その人生が一変した。
彼のもっとも天才的な才能をヒットラーが高く買ったからである。
その天才的な才能とは、宣伝のそれであった。
ラジオ(電波)映画(映像)が政治的なプロパガンダにきわめて効果的であることを世界でもっとも早く目をつけたのもゲッベルスだったし、
パンフレット、ポスター、デモ、集会を最高度に活用したのも、この小男だった。
彼自身、演説はおそろしいまでに巧みであった。
大統領選挙においても、彼の才能は余すところなく発揮された。
飛行機を選挙に使ったのは、彼がはじめてだった。
ヒットラーと自分が乗って国じゅうをとびまわり、一日に、二回から三回の演説をこなし、さらには、
飛行機からパンフレットを雨あられのようにバラまき、夜になるとヒットラーの演説映画を広場で上映し、
演説をふきこんだレコード五万枚を蓄音機のある家庭に郵送した。
三好徹 「夕陽と怒濤」
P.233この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ゲッベルス」は「ゲベルス」「ゲッペルス」とも表記されることがあります。 http://www.c20.jp/
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