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レーム事件
1934/06/30
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用彼はゲッベルス以下の側近とともに、自動車をつらねて、バアト・ヴィースゼエに乗り込み、
手に鞭を持ってレームの寝室に侵入した。
「貴様を逮捕する!」とヒトラーが叫ぶと、レームはベッドのなかで寝ぼけまなこをあげ、「ハイル・ヒトラー」と答えた。
「貴様を逮捕する!」ふたたび叫ぶと、ヒトラーはくるりと向きをかえて、靴音も荒々しく、立ち去った。
これは彼の忠実な運転手ケムプカの目撃談である。
翌七月一日、日曜日、午後六時、二人のSS将校が、シュターデルハイム監獄の独房につながれているレームを襲った。
彼らは前日の事件―SA大粛正―を大見出しで報道している「ベオバハター」紙とともに、
ピストルを小卓の上に置き、十分間の余裕を与えた。
だが、発射音がしないので看守がピストルを取りもどしにいった。
その直後、くだんのSS将校が拳銃を乱射しながら独房に突入すると、レームは胸のシャツをはだけて、
傲然と中央に立っていた。
ヒトラーもこの古き盟友を処刑するのは、頗る気が重かったらしく、なんとかして最悪の局面を回避しようと腐心した。
レームにしても、まさか上意討ちにされようとは思っていなかったらしい。
三島由紀夫の劇「わが友ヒトラー」は、シュトラッサーがレームにヒトラーを排除するため協力を求めると、
レームが峻拒する情景を描写し、シュトラッサーに、「太陽を見た人の瞳が何を見ても黄色い残像を結ぶように、
君はヒトラーの残像なしにはこの世界を見ることのできない男だ」と語らせているが、
レームは最後までヒトラーの友情を信じていたのである。
みじめなのはハイネスであって、寵童と同衾しているところを襲われて抵抗し、その場で射殺された。
もとはピアノ運送人夫で、殺人歴を持つ乱暴者である。
ミュンヘンに集まっていた他のSA幹部は、みな簡単に逮捕された。
加瀬俊一 「ワイマールの落日」
P.260この本を入手
引用暴力やテロの先頭につねに立ったのは、突撃隊と呼ばれる組織だった。
この組織は初期のころは、演説会場の整理などにあたるもので、ときには、反ナチの聴衆と乱闘をしたりして実力を認められ、
一九二一年には、突撃隊(SA)となった。
SAの指導者は、バイエルン国防軍の大尉だったエルンスト・レームだった。
レームはその地位を利用して、SAの隊員たちに武器をあたえ、あるいは訓練をほどこした。
一方、ドイツには、国防軍というれっきとした軍事組織が存在している。
したがってレームとしては、SAと国防軍を一体化して、自分がその総司令官になることが望みだった。
軍を握れば、事実上、国家を握ることになるのである。
こうした状況を背景にして起こされたのが「六月三十日事件」だった。
レームをはじめとするSAの幹部は、ヒムラーの指揮する親衛隊(SS)によって殺害され、ついでに好ましからぬ政治家も殺された。
その数は合計少なくとも二百名といわれている。
SAが党の軍事組織であるのに対して、このころのSSは、ヒットラーの個人的な警護組織にすぎなかった。
しかし、この結果、SSはヒットラーの私設警察として恐るべき力をもつことになった。
ヒットラーやその権力機構を守るためには、公然たる殺人も暴力も認められたにひとしいからである。
三好徹 「夕陽と怒濤」
P.312この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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