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【テーマ・日露戦争史 01】
クリック 20世紀
この事件が、若きニコライの心にどのような陰を落としたか想像することはけっしてむずかしくない。
以来彼は日本人を「猿」と呼び、公文書にさえそんな記述が残っているということだ。
●臥薪嘗胆
日清戦争は、韓国をめぐる日本と清国の主導権争いから起こった。 この戦争は終始日本軍有利で進み、日本は下関条約で莫大な賠償金と割譲地を得た。
が、この一部をかすめとるべくそこへ現れたのがロシアである。
下関条約が調印されると、ロシアはドイツ、フランスを誘い、遼東半島を清国に返還するよう日本に圧力をかけた。
当時の日本には、外交的にも軍事的にも列強三国に対抗する力はなく、やむなく遼東半島を手放した。
「臥薪嘗胆」は、このときの日本人の悔しさを表すとともに、
以後十年の帝国主義国家としての歩みを象徴する言葉となった。
三国干渉で清国に恩を売ったロシアは、その後、李鴻章からさまざまな利権を引き出し、また、日本が放棄した遼東半島に自ら進出していく。 遼東半島先端の要衝旅順を租借し、ここに堅固な近代要塞を築き、これをシベリア鉄道と結ぶべく南満州鉄道を敷設した。
●日英同盟
列強の遼東半島進出に対する民衆のアレルギー反応から、この地で義和団の蜂起が起こった。 「扶清滅洋」をスローガンに、義和団は遠く北京にまで攻め入り、列強公使館を包囲、 清国政府がこれに呼応し列強に宣戦布告するにいたる。義和団事件である。
事件は、イギリスの要請を受けた日本軍の出兵などにより、義和団が鎮圧され解決をみたが、
満州各地に大挙進駐していたロシア軍は居座りを続けた。
このロシアの挙動不審が、満州と国境を接する韓国を支配下に置きたい日本と、 中国大陸に多くの利害関係を持つイギリスを急接近させる。
元老伊藤博文は、日英同盟に必ずしも反対ではなかったが、
日英の同盟が成ればその時点で日露協商成立の機会は永久に失われると考え、自ら交渉にあたるため露都ペテルブルクに赴く。
この伊藤の行動がイギリス側のあせりを誘い、日英同盟交渉は急速に進展、調印された。 日英同盟の成立を見たロシアは、ようやく満州の返還を清国に約束した。
●満州撤兵問題
満州還付条約は、ロシア軍が三段階で満州から撤兵することを規定していた。 第一回撤兵は約束どおり行われたが、第二回撤兵はついに行われず、 ロシアは、満州撤兵のための新条件を清国につきつけた。 小村外相は、清国政府に圧力をかけ、ロシアの要求を拒否させることに成功したが、 日露間に横たわる問題はこれによって多少とも解決に近づいたわけではなかった。 やがてロシアが満州と韓国の国境地帯に鴨緑江木材会社を設立したことも明らかになった。
実力行使で満州を得たロシアが次には韓国に手を伸ばすだろうことは明白、という思いが、
日本政府首脳をあせらせた。ロシアは着々と既成事実を積み重ねつつあった。
日露間の利害調整を図るべく、小村外相は駐露公使を通じてロシアに協定案を示した。
だが、反応ははかばかしいものではなかった。
ようやくロシア側の対案が示されたのは二ヵ月後のことだった。
このときすでに、ロシア宮廷はベゾブラゾフら主戦派によって占められていた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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