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日英同盟交渉開始
1901/10/16
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
帝政ロシアの牙は獰猛で、しかもそれはこっちの方を向いている。さあ、どうしたものか。
明治政府の首脳たちは、戦えば負けると信じていたから、どうしたら戦争が避けられるかと真剣に考えた。
ロシアと直接話をつけるか、それとも、イギリスと結んでロシアを封じ込めるか。
意見が対立し、両派ともにゆずらず、伊藤はみずから露都ペテルブルグに赴き、小村はロンドンに訓令を発し、まるで競うようだった。
結局、日露協商はならず、日英同盟は実現したが、これは勝つためのではなく、戦わぬための同盟だった。
40年後の同じ10月16日、アメリカと戦うか戦わぬかで東條陸相と対立した近衛首相がついに内閣総辞職、
それから2ヵ月足らずでもう戦争を始めている。
彼らが40年前の歴史を知っていたとはtaroには思えない。
今の首脳たちはどうだろう。ああ不安。
引用九月二十一日外相に就任した小村は、十月八日林公使に同盟交渉の権限を与え、林は十月十六日ランスダウン外相と会談したが、
十一月六日にはイギリス側から最初の草案が林に手渡された。
それは日本側の予想をこえた急スピードな進展であり、ロシアに向かう伊藤博文の動きを考慮したものであった。
古屋哲夫 「日露戦争」
P.44この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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