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伊藤博文渡米
1901/09/18
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用伊藤が外遊の希望をもった直接の動機は、エール大学が創立二百年の式典をあげるにあたって、
伊藤に名誉法学博士の称号を贈ると申し出たことであったが、井上馨はこのさい、欧州からロシアに足をのばして、
朝鮮問題についてロシア当局者と会談することを強くすすめた。
九月十三日、桂首相は、伊藤、山県、井上らを招き、伊藤送別の宴を開いたが、
山県が伊藤に独断専行しないようにクギをさすと、伊藤はそんな小うるさいことをいうなら外遊をやめてもよいと反発、
桂がとりなしたものの、その背後には日英同盟と日露協商、つまり、対外政策のつぎの一手をめぐる構想のちがいが存在していた。
九月十七日、伊藤は東京を出発して行った。
古屋哲夫 「日露戦争」
P.42この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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