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「坂の上の雲(4)」
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書籍: 文庫(414ページ)
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目次: 黄塵
遼陽
旅順 沙河 旅順総攻撃 |
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二〇三高地
引用海軍が献策していたのは、
「二〇三高地を攻めてもらいたい」
ということであった。
この標高二〇三メートルの禿山は、ロシアが旅順半島の山々をことごとくベトンでかためて砲塁化したあとも、
ここだけは無防備でのこっていた。
そのことは東郷艦隊が洋上から見ていると、よくわかるのである。
この山が盲点であることを見つけた最初の人物は、艦隊参謀の秋山真之であった。
「あれを攻めれば簡単ではないか」
ということよりも、この山が旅順港を見おろすのにちょうどいい位置をもっているということのほうが重大であった。
二〇三高地をとってその上に大砲をひきあげて港内のロシア艦隊を射てば、
二階から路上に石をおとすような容易さでそれを狙撃することができる。
艦隊を追いだすために陸から攻めるというのが陸軍の作成の目的である以上、二〇三高地をねらうことが必要かつ十分な要件であった。
ところが、乃木軍の伊地知幸介は一笑に付し、しかも、
「陸軍は陸軍の方針がある」
として、この大要塞の玄関口から攻めこんでゆくというような、真正直な戦法をとった。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(4)」
P.25
ウラジオ艦隊
引用ウラジオストックを基地にしているロシア艦隊は旅順艦隊の別働隊のような存在だったが、
結果としては全ロシア海軍の中でもっともよく働き、もっとも多くの損害を日本海軍にでなく、陸軍にあたえた。
この艦隊は、戦艦級の一等巡洋艦を三隻と二等巡洋艦一、仮装巡洋艦一で、計五隻から成っており、
たえず日本海や朝鮮海峡のあたりまで出てきて、日本と満州のあいだを交通している輸送船をしずめた。
四月二十六日には金州丸を沈め、六月十五日には、近衛後備連隊の連隊本部とその一部隊をのせた常陸丸を砲撃してしずめてしまい、
鉄道関係の工兵部隊をのせた佐渡丸に砲雷撃を加えて大破させ、ほかに和泉丸(三二二九トン)のような大船から、
のちに太平洋にまわってからのことだが一〇〇トン内外の喜宝丸、第二北生丸、福就丸などといった小さな船にいたるまで自在にしずめ、
日本の海上輸送路をおびやかしつづけていた。
これに対して日本側は上村彦之丞の第二艦隊を捜索にあたらせていたが、
海域がひろいため容易に発見できず、一時は東京の大本営の空気を暗澹とさせた。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(4)」
P.84
明石工作
引用ロシアの衛星圏には不平党、独立党が精力的な地下工作をつづけており、
ロシア本土にも、帝政の矛盾と圧政のなかから革命運動家が年々続出している。
日本の大本営は、この戦争をはじめるにあたって、
これらロシア内外の不平分子を煽動して帝政を倒さしめるべく大諜報をおこなうことを決定し、
その任務を公使館付武官を歴任(フランスおよびロシア駐在)してヨーロッパにあかるい明石元二郎大佐にあたえた。
明石は福岡藩出身で、士官学校は好古よりやや下の六期であった。
服装に無頓着ないわば東洋的豪傑風の男だったが、かれのやったしごととその効果は驚嘆すべきものであった。
しかも資金はふんだんにつかった。
参謀本部がかれ個人にあたえたこの工作費が、日本の歳入がわずか二億五千万円のころに百万円という巨額であったことをおもえば、
その活動量をほぼ想像できるであろう。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(4)」
P.175
引用寺内というのは軍事的才能はあまりなく、実戦の経験もほとんどなく、軍政家の位置にありながら、
陸軍の将来を見通しての体質改善ということもしなかった。
ただ部内人事は上手であり(むろん藩閥的発想によるものだが)、さらに書類がすきで、事務家としては克明であった。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(4)」
P.187
引用―艦隊はドッガー・バンクに近づきつつある。
ということを、バルチック艦隊の首脳は知るべきであった。
ここにはイギリスをはじめ各国の漁船が季節ごとに集中していてさかんに操業しているというのは船乗りの常識であり、
さらにその漁船は夜もこのあたりに多くいることを知るべきであった。
ヨーロッパの船乗りとしてのこの程度の常識を、ロジェストウェンスキーとその幕僚たちが判断材料として知っていれば、
かれらがやがて発する大狂気は、あるいはそれをおこさずに済んだかもしれない。
夜一時すぎ、旗艦スワロフの前面にあたって三色の狼煙があがった。
これは操業中の英国漁船のうちのどの船かがあげたものだというが、戦後のしらべでは、
―そういうノロシはあがらなかった。
という説もあり、なにしろ全艦隊が異常な神経昂奮のなかにあったため、その点はさだかでない。
はっきりしていることは、ロジェストウェンスキーが座乗している旗艦スワロフが、
このとき闇をつらぬいて探照燈をつけたことである。
これはこの集団心理のなかにあっては戦闘開始を命じたにもひとしかった。
各艦の艦長とも、
「あっ」
と、おどろいたであろう。
げんに旗艦スワロフにおいて、
「合戦準備。―」
とのラッパが鳴った。
ロジェストウェンスキーは全艦隊に戦闘を命じたのである。
相手は、漁船であった。探照燈は、一本煙突の漁船をとらえていた。そのかがやきのあかるさは、
「小蒸気船の船腹の黒と赤の彩色があざやかにみえるほどであった」
と、旗艦乗組の造船技師ポリトゥスキーは書いている。
相手は英国漁船であった。
しかし全艦隊はこれを日本水雷艇とみて、あらゆる砲が咆哮しはじめた。
「自分はこのとき前艦橋にいたが、
耳は砲声のために麻痺し、目も砲火のためにくらみ、艦橋上に居るに堪えられなくなって、両手で耳をおおい、
下へ駈けおり、上甲板でこの光景を見物した」
とは、ポリストゥスキーの妻への手紙である。
狂宴が、はじまった。
この艦隊に属するあらゆる軍艦が探照燈をつけ、狂ったように大砲を射ちだしたのである。
巨砲から砲弾が発射されるたびに北海の重い空気がひき裂かれ、閃光が闇を切り裂いた。
バルチック艦隊がその餌食にしようとした日本水雷艇(実際は英国漁船)は、一隻や二隻ではなかった。
探照燈員が機敏であればあるほど、いくらでもそれはさがしだせた。
射撃目標に事欠かなかった。
いつのまにか、英国漁船群は、この大艦隊の真っ只中にはさまれてしまっている。
最初、旗艦スワロフが、つるべ射ちに射ちすくめた漁船などは、どういうわけか逃げだすこともせず、
ちょうど森の小動物が嵐の吹き去るのを身をすくめて待ちつづけるようにただ漂っていた。
船上に人影はなかった。
ただかれら英国漁船群にとって不幸中の幸いであったことは、ロシア砲員の射撃があまりうまくないことであった。
もし戦艦の主砲の砲弾をまともにくらえばこなごなになってしまうにちがいないが、
そういう大きな砲弾のほとんどは海に落ちて、化け物のような水煙をあげるだけであった。
小口径砲は、比較的よく命中した。命中するごとに、
「ウラー」
と、声をあげる艦もあった。
艦隊は、どんどん進んでゆく。
漁船は、たたきつけられたイモリのように赤い腹を出してひっくりかえっているのもあれば、
二、三の漁船は火災をおこしたりしていた。
艦隊はかれらを沈めようとし、沈めるまでは探照燈を照らしつづけ、砲撃をやめなかった。
「漁船上に人影がなかった」
という目撃報告もあれば、狭い甲板上に人々が逃げまどい、両手を上下して哀願している姿を見た者もあった。
漁船乗組員のそのぶざまな狼狽ぶりをみて、
―日本海軍は弱い。
と、うれしげに叫んでいる水兵もあったが、巨大な錯覚の上に成立しているこの「戦場」にあっては、
敵への同情はなかった。
敵どもは、海にとびこむことすらできなかった。
海は落下弾のために沸き立っており、うかうか飛びこめば皮も骨もひきちぎられてしまうにちがいなかった。
―そこに日本の一等巡洋艦がいる。
ということで、第一巡洋艦隊に属しているアウローラ(六七三一トン)が、味方のいずれかの艦から集中的に砲撃され、
多数の命中弾をうけてしまった。アウローラが、
「ワレ、砲撃サル」
というあわれな無電を旗艦に発してきたときは、
水線上に四ヵ所の貫通孔をぶちあけられ、煙突は射ちぬかれ、従軍神父が片腕をうしない、砲術長も負傷した。
この時期にはもう、提督ロジェストウェンスキーも、この戦闘の奇妙さに気がつき、
射撃を中止を命じていたが、砲側にいる下士官や兵が自分自身を制御できないまでに昂奮しており、
勝手に射撃するため、海面がもとの静寂にもどるのに相当の時間がかかった。
「なんというはずかしさであろう。われわれは世界中に恥をさらした」
と、技師ポリトゥスキーは故郷の愛妻へ書き送っている。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(4)」
P.352
白襷隊
引用白襷隊三千人は、旅順大要塞の正面を突破して、その背後の旅順市街に突入しようというのである。
なんの現実性もない作戦であった。
かれらのすべては大要塞がそなえる殺人兵器によって死ぬにちがいなかったが、
かりにこの夢想作戦の夢が実現するとして、
つまり三千人が一人のこらず旅順市街に突入できたとして、そこでかれらはどうするのだろう。
日本刀と小銃だけをもったわずか三千人の部隊が、市街戦を演じたところで、やがて鎮圧されるにちがいなかった。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(4)」
P.394
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