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「二十世紀 日本の戦争」
参考書籍
著者: 阿川弘之(あがわ・ひろゆき)
この本を入手
猪瀬直樹(いのせ・なおき)
発行: 文藝春秋(2000/07/20)中西輝政(なかにし・てるまさ) 秦郁彦(はた・いくひこ) 福田和也(ふくだ・かずや) 書籍: 新書(205ページ) 定価: 660円(税別) 目次: 第一章 日露戦争 近代との邂逅
第二章 第一次世界大戦 「総力戦」の世紀
補足情報:第三章 満洲事変 終わりなき暴走 第四章 太平洋戦争 混迷と陶酔 第五章 湾岸戦争 残された課題 あとがき 猪瀬直樹
秦郁彦さんは博覧強記、戦争については字引のような人。
中西輝政さんは英国を軸に世界史的視点から鋭い指摘。
福田和也さんは新しい仮説を出すべき勇んでいる。
そんななかに司会兼任の僕も加わって侃々諤々。
そうは言ってもねえ、と唯一の元軍人阿川弘之さんの軽妙洒脱な実感的発言で一同納得、という場面がしばしばあって、
日清・日露戦争から始まった討論は螺旋階段を昇りながらようやく湾岸戦争へとたどりつき、
九時間の長旅を終えたのであった。(あとがき)
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引用福田 【中略】 一九二一(大正10)年、のちの陸軍の中枢をになう小畑敏四郎、岡村寧次、永田鉄山といった連中が
ドイツの有名な温泉保養地に集まり、陸軍の改革を誓いあって交わした「バーデンバーデンの密約」というものがあります。
その席で彼らが一致して評価したのは、結局、負けた側、ドイツ軍のエーリヒ・ルーデンドルフ参謀次長の戦略なんです。
もちろんこれはタンネンベルクの殲滅戦という、現場指揮官としてほれぼれするような大成功を目にしたせいもあるでしょうが、
最終的には持久戦に負けてしまったドイツの総力戦体制を非常に評価して、これと同じものをつくればいいと考えてしまう。
戦後、ルーデンドルフは、ドイツは国内世論の分裂によって負けたのだ、と責任回避をしたのですが、
東條英機らはそれを真に受けて、国内の反対世論を抑え込めればいいのだというようなかたちの解釈をしてしまった。
「戦争への反感だけで支えられた平和主義は必ず堕落する」
引用中西 【中略】 左派的な理想主義的平和主義は結局、三〇年代にいたって明確に挫折してゆきます。
戦争への反感だけで支えられた平和主義は必ず堕落する。このことは歴史にいくらでも例があります。
この点で今の日本は太平洋戦争を経た現在においてすら、依然として第一次大戦とそのあとの教訓を学んでいないわけです。
満州国建国の意義
引用福田 【中略】 王道楽土、五族協和といった理念の問題はさしおいても、
戦後日本の繁栄の基礎に満州国体験があるというのは否定できない事実ですね。
満州で宮崎正義や、戦後に新幹線を手がける十河信二、それに岸信介や椎名悦三郎といった官僚たちが、
ある種の大規模な計画経済を行なって、重工業を中心としたインフラをつくったことは、
戦後の日本経済の復興にとってかけがえのない経験となった。
加えて社会経験としての満州生活もけっこう大きい。
今でも大連の市街にいくと、戦後の日本のマイホームの原型がうかがえます。
子供たちがそれぞれ一部屋を持ち、家族が居間で顔を合わせて、客を応接間で迎える。
満州体験を持つ清岡卓行さんの小説などを読むと、消費物資もけっこうあって、映画も満映があり、遊園地もある。
戦後社会を先取りしたような経験をしている。
だから内地に帰ると辛くてしようがない。
内地は当然のことながら戦前のままですから。
満州というものが、石橋湛山式に、これだけお金を入れました、負けて全部捨ててきました、なんて損なんでしょうとは僕には思えない。
無駄になってしまったものもあるけど、やっぱり大規模な都市計画をやったり、産業をつくったり、
という満州経験が、岸、椎名といった固有名詞も含めた意味で、戦後日本の繁栄の基礎をつくったんだろうと思うんです。
阿川 大連というのは、私なんかも子供のころから始終行っていたところですが、
日本人にとっては美しい豊かな町だった。
大連の女学校の生徒が内地へ修学旅行に来て、門司に着くと、
日本人がクーリー(苦力)してると言って驚いたという。
それだけ内地というものがみすぼらしく見えたのでしょう。
それからどうして日本の汽車はこう小さいのって(笑)。
満鉄の「特急あじあ号」の威容に比べたら、確かにそう見えたかもしれません。
近衛文麿卒倒
引用阿川 【中略】 「日独伊三国同盟」締結が決まった一九四〇(昭和15)年九月、近衛首相が宮中で気を失ったという話を、戦後、
日本医師会会長を長くつとめた“喧嘩太郎”こと、武見太郎さんから直接聞いたことがあります。
武見さんは、当時銀座に診療所を開いていたのですが、その日、宮内省から至急の呼び出しがかかった。
行ってみると、近衛さんがもう目を醒ましてソファに座ってたそうですがね。
「どうなさいました?」と訊ねると、実は昼食のあと、陛下から庭を歩こうと言われて、ご一緒に散歩していた。
すると突然、陛下が「三国同盟がいよいよ成立することになった、これで国民がさぞ難儀するだろうね」とおっしゃった。
それを聞いた途端、すーっと気が遠くなった、というのです。
ナチス・ドイツについての実情報告
引用福田 【中略】 ドイツ国防軍の中には反ヒトラーの気運が早くからあり、政権奪取後もかなり強いですね。
実際、クーデターが六回ぐらい計画されている。
あまり無茶をやるから、ミュンヘン会議のときなどに、軍はヒトラーを取り除く計画を立てています。
当時、国防軍と日本陸軍の間には、将校同士の付き合いがあるはずなんですが、そうした情報は入らなかったのでしょうか。
昭和天皇の敗戦分析
「飲み過ぎ、食い過ぎ、よそ見で負けた」
引用秦 【中略】 日本軍の戦術についてはじつにいろんなことが言われていますが、
何度も言われてきたことを繰り返しても仕方がないので、ここでは少々乱暴な要約を試みてみたい。
私は、日本軍は「飲み過ぎ、食い過ぎ、よそ見で負けた」とよく言うんです。
たとえば「大和」出撃の前の晩。
これは特攻ですから、やや特殊なケースということはあるかもしれませんが、要するに無礼講になるんです。
みんな酒を飲んで、とくに艦長は乗組員のなかにまじり、水兵に至るまで杯を受けて回る。
翌日は二日酔いで、全然弾は当たらない。
これは日本軍の悪習です。
それから、食糧の不均衡も深刻でした。
米の量なんですが、食っているところでは、一日ひとり六合も食っていて、別の戦場では餓死者が出ているといった具合です。
これも最後まであらたまりませんでした。
「よそ見」というのは、これはいよいよ決戦という場面でのことなのですが、
航空母艦から飛び立っていく飛行機を、甲板の両側に水兵がズラリと並んで見送る風習があったんです。
「帽振れッ」の合図とともに全員で帽子を振る。
潜水艦に対する警戒を最も強めなければいけないときに、
全員、海面に対して背を向けているわけで、これは危険きわまりない。
見張り員までそちらに気をとられてしまう。
そんなことで、マリアナ沖海戦ではまっ昼間に空母が二隻も潜水艦にやられてしまった。
最後の一億玉砕論者
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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