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池田 成彬
1867 - 1950
[ いけだ・しげあき ]
蔵相、三井合名常務理事、日本銀行総裁、三井銀行常務取締役
エピソード 1調査中。
引用池田成彬は米沢の上杉家の家老の長男として生れ、
三田の福沢塾に入ったのが十八歳、明治十二年だった。
福沢諭吉は池田少年に対して「イエスかノーか必要なときにはっきり云い切れることが処世の根本義」だと
教えたそうである。(和田・前掲書)
団琢磨が倒れたあと、有賀の筆頭常務理事時代があるが短かった。
実際、団のあとを受けて三井の独裁的存在となったのは池田である。
彼が外遊してヨーロッパ諸国の財閥機構を見てまわったのはさきにふれたが、
ファッショの嵐の中で三井の「大転向」をやったのは池田の実力である。
三井一族の引退、役員の定年制の実施、報恩会の設立による三千万円の寄付行為などみな池田の独裁力からである。
しかも、彼が三井一家のためを想う番頭であること有賀以上であった。
定年による引退前の彼の数年間は軍ファッショが三井一族に災害が及ばないように腐心し、
そのために精力を使い果したといわれる。
松本清張 「昭和史発掘(8)」
P.234この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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