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日本自由党結成
1945/11/09
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用安藤正純や芦田均らが戦後政党づくりに動き始めたのは、日本政府のポツダム宣言受諾の動きが本格化した戦争末期であった。
仲間の要請を受けて、鳩山一郎は八月二十二日に軽井沢から東京に戻った。
このグループは東条内閣に抵抗した鳩山を中心とする「同交会」と呼ばれた小さな、しかし力ある人たちの集まりだった。
進歩党が旧政治家を広く糾合しようとしたのに対し、鳩山グループは政治の手あかに染まっていない官僚、
学者、ジャーナリストら新人を発掘し、穏健の社会主義者たちも包含して、
清新な活力ある新政党を樹立する意欲を持っていた。
【中略】 平野、西尾ら社会主義グループを誘ったのもその表れであった。
十一月九日、鳩山を総裁として四三名の代議士を集めて自由党を結成した。
小粒に出発したが、総裁という顔を明瞭に持ち得たのは自由党のみであり、有力政党となるであろうことが予期された。
五百旗頭真 「占領期」
P.234この本を入手
引用日本自由党はブルジョア政党であったが、財界との組織的関係はまだ希薄であった。
自由党の資金第一号は、鳩山がだした三〇〇〇円であり、その他は主として河野幹事長が辻嘉六からひきだした。
辻嘉六は、かつて政友会の黒幕といわれた浪人であるが、資金の調達を河野からたのまれた彼は、
児玉誉士夫に目をつけた。
児玉は、北一輝や大川周明を尊敬するファシストであり、戦争中は海軍のために「児玉機関」を組織し、
上海で物資の調達に従事していた。
敗戦で児玉機関は解体したが、海軍から得た巨利で蓄積した内地・外地の資産を海軍の了解のもとにソックリそのまま自分の手にいれていた。
そこに辻嘉六からの声がかけられた。
児玉は鳩山と会見し、「ただひとつ、いかなる圧迫があろうと、ぜったい天皇制を護持してください」
という条件で自分の資産を自由党のための提供した。
児玉機関の副隊長をしていた吉田彦太郎は、自分が手にしていた多額の資金で緑産業という会社をはじめていたが、
その利益のなかから六五〇万円を献金した。
自由党の政治資金は、戦争中に海軍が国民の税金をつかって特殊の機関にもうけさせた資金、
そしてファシストが国体護持を条件として提供した資金をもってまかなわれた。
信夫清三郎 「戦後日本政治史Ⅰ」
P.202この本を入手
十一月九日には日比谷公会堂で結党式を行ない、鳩山総裁のもとに幹事長に河野一郎、政調会長に安藤正純、総務会長に三木武吉を選んだ。
擁する議員は四十三名であった。
戸川猪佐武 「小説 吉田茂」
P.190この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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