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大政翼賛会発足
1940/10/12
~ 「大政翼賛の臣道実践」 ~
実際は ・・・軍部、内務官僚、財界、政党の単なる寄り合い所帯
taro's トーク
ああああああ
引用一〇月一二日午前九時二五分から首相官邸ホールで大政翼賛会の発会式が挙行されたが、
実はこの日は近衛の誕生日であった。
発会式をこの日に行なうことを誰が発案したのかはっきりしないが、
このことは大政翼賛会の指導者としての近衛を際立たせることを意図したものと思われる。
発会式には近衛をはじめ閣僚、内閣参議、貴衆両院議長、旧政党総裁、大政翼賛会の役員ら約一〇〇名が参加した。
松前総務部長が開会を宣言し、近衛が紀元二千六百年記念に賜りたる勅語を奉読、英霊感謝と武運長久祈願の黙祷をささげたのち、
有馬事務総長から経過報告と準備会での「誓」の朗読があり、つづいて近衛総裁が挨拶をした。
その中で近衛は次のようにのべた。
申すまでもなく、今やわが国は、明治維新にも比すべき重大なる時局に直面して居ります。
わが大政翼賛の運動こそは、古き自由放任の姿を捨てて新しき国家奉仕の態勢を整えんとするものであります。
歴史は、今やわが国に対し重大なる時期の到来を告げつつあります。
大政翼賛運動の将来は、真にわが国家の運命を決するものであり、
しかも本運動の遂行は容易な業ではありません。
われわれは前途にいかなる波瀾怒濤の起るとも、必ずこれを乗り切って進んで行かねばならぬのであります。
本運動の発足に当り、私はその推進的原動力となってこの難事業の完成に協力せられる役員諸君に、
衷心より敬意を表するものであります。
各位はこの重大なる使命達成のため、挺身これに当られ、大御心を安んじ奉り、
忠誠の実を挙げられんことを切望してやまざる次第であります。
最後に、大政翼賛運動綱領については、準備委員の会合においても数次、真剣なる論議が行なわれたことを承って居ります。
しかしながら、本運動の綱領は、大政翼賛の臣道実践ということに尽きると信ぜられるのでありまして、
このことをお誓い申上げるものであります。
これ以外には綱領も宣言もなしといい得るのであります。
もし、この場合において、宣言綱領を私に表明すべしといわれるならば、
それは「大政翼賛の臣道実践」ということであり、「上御一人に対し奉り、
日夜それぞれの立場において奉公の誠をいたす」ということに尽きると存ずるのであります。
かく考えて来て、本日は綱領、宣言を発表致さざることに私は決心致しました。
このことをつけ加えて明確に申述べて置きます。
九時四十五分に式は簡単に終了した。
だが近衛の挨拶の最後の段落、綱領、宣言の放棄ともいうべき発言は「革新」派に大きなショックを与えたのである。
有馬の日記によると、前日の一一日「夜十時近衛公を訪問、宣言文と挨拶と綱領を議したが遂に決定せず、
明日は読まぬことになる」、そして当日朝「八時官邸につき昨夜の事を書記官長に話す。
宣言綱領を出さぬ理由を率直に述べらるる方返ってよろしとの意見にて、首相も了承」という経緯であった。
富田書記官長の回想(『敗戦日本の内側―近衛公の思い出』)もほぼ同様の記述で、
当日一〇時になって官邸の来た近衛が富田にすぐ挨拶を書くように命じて、
本来一〇時にはじまるのを少しのばして、富田が「総理の机の上にあったメモに五枚ばかり一気に書き上げた」のだという。
富田によると「観念右翼の人からは賞められた」というが、そうした解釈とともに、
「本日は・・・・・・発表致さざることに私は決心しました」というのは、後日に発表という含みをももたせてあり、
富田が「とにかく問題の起らないよう」に書いたという回想は当っているようである。
牧達夫も次のように回想している。
此の頃近衛の身辺に寄せられた右翼及財界一部よりの猛烈なる反対にも拘らず新体制運動案の策定に参与した者達は
軍部側を始めとして世論の大勢上かかる反対の策動を軽視するかたわら
「今度という今度は」との言葉で表現された近衛の決意めいたものを最後迄信じて疑わなかったのである。
・・・・・・此の頃自分も連日の如く井田磐楠、岩田愛之助、小林順一郎、太田耕造等より面談の強要を受け、
激越なる口調を以って既に立案された翼賛会のイデオロギーを否定するのは勿論、
ナチス独裁は我国体に相容れざる幕府の再現なりと指弾し時としては君達一派の思想の裏には
たとえ無意識にせよ「赤」の影響があるのではないかとさえ詰め寄られたのであった。
特に井田、太田の両氏とも新体制準備委員であるに拘らず
「国民よ直ちに“新体制早わかり”と云う怪文書を破棄せよ」と怒号して触れまわる程、
彼等の反対は狂信的な熱風を孕んでいたのである。
かかる首相官邸周辺に低迷する不連続線的な空気のうちに愈々十月十二日の翼賛会発会式を迎えた。
その両三日前我々補佐役によって起案された宣言文、近衛声明の案文が総理の手許に届けられ近衛亦一応之れに諒諾を与えたのであるが、
後刻側近筋の洩らすところによれば機微なる近衛の心境は十一日夜半(発会式の前夜)俄かに急変、
翼賛会の政治性を棄てて第二の精勤たらしむる如く秘かに決意した模様である。
十二日朝来閣僚以下の全関係者は官邸の広間に集合し、昨夜の総理の心境変化は露知らず予定の宣言発表を粛として待っている。
そこに現れた近衛総理の口から徐ろに発表された宣言と声明は多くの者の全く予期しなかった意表的内容のものであった。
即ちそこに表明せられたものは「政治中核体」ではなく「一億一心万民翼賛」の単なる精神運動でしかない。
・・・・・・かねて翼賛会の新なる政治推進力に期待していた我等支持者は発会式未だ終らざるうちに
早くも生まれ出ずる翼賛会の政治的無力を直感すると共に幻滅に似た失望を以って唖然として
等しく近衛の長身を冷く仰ぎ見るのみであった。
文中の『新体制早わかり』というのは、内閣情報部の『週報』第二〇八号・臨時号として一〇月七日に発行されたものである。
「革新」派の主張が色濃く出ていたこと、総務会等の議をへなかったことから、
「復古」派からはげしく批判されていたのである。
伊藤隆 「近衛新体制」
P.171この本を入手
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