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東條英機に組閣命令
1941/10/17
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用次期首班に誰が座るのか、東條も武藤もそして佐藤も、
軍務局の将校たちも落着かぬ様子で、午後からの重臣会議の終わるのを待っていた。
陸相官邸の芝生に椅子をもちだして、彼らは雑談にふけりながら、まもなく発表されるであろう東久邇宮内閣か、
それに近い皇族内閣を想定し、誰を陸相に推挙するかを話し合った。
二・二六事件以後、陸軍の政治的意思を担うことになった陸軍省軍務局の将校たちは、
陸相を推すだけでなく、希望する閣僚名簿まで用意するのが慣例であった。
この日午前中に、その名簿が武藤の机の上には用意されていた。
東條はこの名簿を見ていなかったが、それが自らにつきつけられる名簿になろうとは知る由もなかった。
午後一時すぎから、宮中では、重臣会議が開かれていた。
木戸が倒閣にいたる経緯を説明し、そのあと次期首班についての検討にはいった。
若槻礼次郎が宇垣一成を推し、林銑十郎は皇族内閣とするなら海軍関係の皇族がいいと言った。
発言が止まるのを見定めて、木戸が強力に東條を推した。
「この際必要なのは陸海軍の一致をはかることと九月六日の御前会議の再検討を必要とするのだから、
東條陸相に大命を降下してはどうか。
ただしその場合でも東條陸相は現役で陸相を兼任することとして、陸軍を押えてもらう」
重臣会議は重苦しい空気になった。
木戸ののこした『木戸幸一関係文書』によれば、かれの主張は、東條なら九月六日以後の情勢を逐一知りぬいていること、
それに陸軍の動きを押えることが可能であるが、若槻が推す宇垣では陸軍を押さえることはできぬというのであった。
東條の名前があがったとき、重臣のなかにも反撥する者はあった。
若槻は外国への影響が芳しくないといい、枢密院議長原嘉道は、木戸の考えている旨をよく東條に伝えるならば
・・・・・・と注文をつけた。
広田弘毅、阿部信行、林銑十郎は賛成し、近衛も岡田啓介も強いて反対はしなかった。
午後四時すぎ、木戸は天皇に会い、東條に大命降下するように決まったと告げた。
午後四時半、宮内省の職員が陸相官邸の秘書官に電話して、東條陸相の参内を要請した。
赤松貞雄から参内の伝言を聞いた東條は、顔をしかめ、日米交渉の資料と支那撤兵に異議申し立てをする上奏文を
鞄につめこみ、自動車に乗った。「相当厳しいお叱りがあるのだろう」、彼は不安気に赤松に洩らしている。
しかし宮中で、東條の予想は裏切られた。
「卿に内閣組織を命ず。憲法の条規を遵守するよう。
時局極めて重大なる事態に直面せるものと思う。
この際陸海軍はその協力を一層密にすることに留意せよ。
なお後刻、海軍大臣を召しこの旨を話すつもりだ」
天皇は、視線を伏せている東條にそういって大命降下を告げた。
この瞬間、東條は足がふるえて、なにがなんだかわからなくなったと赤松に述懐した。
のちに東條自身が綴った記録には、「然ルニ突然組閣ノ大命ヲ拝シ全ク予想セサリシ処ニシテ茫然タリ」とある。
天皇から大命を受けたあと、木戸の部屋で、改めて東條と及川に聖旨が伝えられた。
白紙還元で、改めて国策を練り直せというのである。
控室に戻ってきた東條は、興奮のため下を向いているだけだった。
よほど衝撃的な叱責を浴びたにちがいないと、赤松は思った。
自動車に乗っても無言だった。自動車が走りだすと、明治神宮に行くように言い、また口を結んだ。
赤松は「どうかされましたか」とおそるおそるたずねた。
すると東條は震える声で大命降下を受けたことを告げた。
こんどは赤松のほうがことばを失った。
明治神宮、そして東郷神社、靖国神社と自動車を回しながら、東條は「このうえは神様の御加護により
組閣の準備をするほかなしと考えて、このように参拝している」といって長時間参拝した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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