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ヴェルダン要塞攻防戦
1916/02/21
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用ヴェルダン戦は、ドイツ軍参謀総長ファルケンハインが一五年十二月に皇帝に提出した報告から始まる。
ここまで、東部戦線やバルカン戦線では古典的な機動戦が展開され、オーストリア軍の大きな損失にもかかわらず、
ドイツ・オーストリア軍側が優位に立っていた。
だが、ファルケンハインは、ドイツの主敵はイギリスであり、大戦の決着は西部戦線にあると確信していた。
かれはすでにドイツの勝利が困難と判断していたから、ドイツが負けないことを敵に納得させ、
継戦意志を挫くことに目標をおいた。
ここから、フランスが威信からも譲れない防衛拠点ヴェルダン要塞を「限定した兵力」で攻撃し、
フランス軍に多大な出血を強いて、勝利をあきらめさせ、イギリスとのあいだを分断する作戦が提案された。
ファルケンハインは、ヴェルダン要塞を占領する必要はなく、ドイツ軍とフランス軍の損害比率が五対三であれば成功と考えた。
一六年二月二十一日、一二〇〇門の大砲で一〇〇万発の砲弾を撃ちこんだ後、
ドイツ軍は火災放射部隊を先頭にヴェルダン要塞群に向かって突進した。
多くのドイツ軍兵士は尖頂付き軍帽ではなく、第二次世界大戦でもおなじみの独特の新型鉄かぶとをかぶっていた。
予想通りフランス軍はヴェルダンから後退せず、ペタンを司令官に招いて死守した。
以後九ヵ月間、幅三〇キロ、奥行き六、七キロの狭い地域で、両軍の凄惨な戦闘が間断なく続いた。
この時点では普通の兵器になってしまった毒ガスには、より強力なフォスゲンが登場して大量に使われ、
飛行機も大規模に参加した。
ドイツの撃墜王リヒトホーフェンが活躍したのも、この戦場であった。
両軍で作戦中に二〇〇〇万発以上、一三万トンの砲弾を消費し、戦場はクレーターに覆われた月面さながらの世界になった。
ファルケンハインは四月には失敗を認めたが、「限定した兵力」どころか、次々と新手の軍をつぎこんだ。
フランス側も兵員の損失の多さから、前線部隊を短期間で交代させる方針を採り、
結果的にフランス軍兵士の八割がこの地獄を経験した。
ヴェルダン戦は、ドイツ軍が最初の出発点に戻った年末に打ち切られた。
フランス軍の死傷者三六万二〇〇〇人に対し、ドイツ軍の死傷者も三三万七〇〇〇人に達した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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