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旅順総攻撃①開始
1904/08/19
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用こうして―
第三軍が、旅順口攻略のために第一日目に企図した第一、第九師団の作戦は、いずれも失敗に終った。
その苦戦あるいは難戦の態様は、そのごの戦闘の典型を告示していたといえるが、第三軍に印象づけた気配はうかがえない。
この日の戦いの参加部隊は、第三軍の一部にすぎず、
大部の将兵の「二十二日旅順口入城」の自信にゆるぎはなかったからである。
いや、第九師団第十九連隊第三大隊副官松井中尉は、龍眼北方堡塁攻略の失敗のニュースでかえって戦意は高揚した、と、
手記している。
「悲惨なる情報が到達する毎に、意気益々軒昂、きつと仇を討つてやると云ふ信念が一杯になつた。
自分乍ら実に荘厳な勇ましい心持になつた・・・・・・此時ほど我将士の士気の興奮したことはない」
児島襄 「日露戦争」
第3巻 P.211この本を入手
引用日本軍司令部が作成した旅順港要塞攻撃計画案は、次のようなものであった。
―八月六日(十九日)、陸上戦線全体にたいし砲撃を開始し、
ついで砲撃に掩護されて、西部戦線前衛陣地にたいし示威的攻撃を敢行し、
若干遅れて前衛陣地に補助的攻撃を開始し、
最後に、八月八日(二十一日)の未明に東部戦線にたいし主要な打撃を加えるというのであった。
ロストーノフ 「ソ連から見た日露戦争」
P.211
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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