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旅順口閉塞作戦①
1904/02/24
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
歴史の中の説得力のある一言を、taroはめちゃめちゃカッコいいと思う。
ここではダントツで有馬良橘中佐だ。
狭い旅順の湾口にボロ船を何隻か沈めて、湾から出られなくし、要塞に引きこもるロシアの艦隊を無力化してしまおうという旅順口閉塞作戦は、
当初、東郷司令長官はじめ、連合艦隊の中枢に反対論が強く容易には実行されなかった。
任務遂行者の生還が期待しがたい作戦を、それを承知で承認、実行するわけにはいかないというのがその理由だった。
そのとき有馬がこう言った、立案した私自身が隊長として死地に飛び込むならいいではないか、それが理外の理というものだ。
こうしてこの作戦は実行に移された。隊長以下全員が、志願者の中から厳選された者たちだった。
引用二月十一日(二十四日)の夜半、敵は港内の出入口を閉塞する第一回の企図を実行した。
閉塞船のために最適の地点を示すために、水雷艇「暁」がつけられた、同艦は老鉄山半島から南にある指定地点で合図をだすことになっていた。
停泊地に出現した日本の水雷艇は、「レトヴィーザン」号を攻撃しようとしたが、この攻撃は撃退されてしまった。
閉塞船が近づいてくるので、ロシア側の探照灯は、錨地に向って進んでくる汽船を照明した。
沿岸の砲台、「レトヴィーザン」号やその他の艦船から火蓋がきられた。
「レトヴィーザン」号の艦長で海軍大佐のエ・エヌ・シチェンスノヴィチは、この戦闘について、次のように報告している。
一時三〇分頃要塞の探照灯の明りで、二本の煙があがるのが見えた。
二時四五分に「レトヴィーザン」号の水兵たちは、損傷したロシア軍艦に向って真直ぐ進んでくる敵の大型水雷艇を見つけた。
直ちに敵にむかって砲門が開かれた。
そのすぐあと、戦艦ではさらに敵の水雷艇二隻を見つけた。
発射後敵の水雷艇は停止し、同艦の上には水蒸気の雲が見えた。
水雷艇の陰から、二隻の輸送船がでてきた。砲火は輸送船にあびせられた。
右方を進んできた輸送船は、砲火を避けようともしないで、右に向きを変えだした。
同船に火がつけられ、灯台の岬の石のあるところに座礁した。
もう一隻の輸送船もまた、向きをかえようとしていたが、砲弾をうけて大破し、水中に沈みかけ、沈没してしまった。
そのあと、砲火は、輸送船をすてて、海洋に立ち去ろうとしていた短艇にあびせられた。
沿岸の砲台と艦隊の砲火、探照灯の明りのため、日本軍の旅順港口の水道閉塞計画は失敗に終った。
ロストーノフ 「ソ連から見た日露戦争」
P.126
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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