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日韓議定書調印
1904/02/23
~ 日本の下心 ~
① 日清戦争以前からずっと韓国が欲しかった (植民地化の第一歩)
② 韓国をロシアとの戦争の軍事拠点にしたかった
taro's トーク
仁川は韓国の首都京城(ソウル)の外港。いわば日本における横浜のようなところだ。
日韓議定書が調印されたのは、日本軍が仁川に兵を強行上陸させてから2週間後のこと。
土足で韓国に踏み込んだ日本軍は「外交」において圧倒的な威力を発揮し、
日韓議定書調印の半年後には日韓協約①が結ばれている。
旅順で激戦が続いている頃のことだ。
日露戦争のウラで行われた日本の韓国に対する振舞いをレイプにたとえようとするtaroは不謹慎だろうか。
韓国植民地化の歴史はまさに日露戦争とともに本格化したと言っていいわけだが、
その講和条約(ポーツマス条約)では、ロシアが日本の韓国支配を承認し、2ヵ月後、伊藤博文によって日韓協約②が調印される。
日露戦争100周年は韓国レイプ100周年でもあるとtaroは思っている。
引用いち早く京城を占領した日本軍の威圧のもとに、開戦二週間後の二月十三日、日韓議定書が調印されることとなった。
この議定書では、日本が韓国の独立および領土保全、韓国皇室の安全をはかること、
韓国政府は施政の改善について日本政府の忠告をいれること、第三国の侵害や内乱のため、
韓国皇室の安全や領土保全に危険のある場合には、日本政府は臨機必要の措置をとり、
韓国政府は十分の便宜を与えること、日本政府はこのため軍略上必要の地点を臨機収用できること、
この議定書に反する協約を第三国と結んではならないことなどが規定された。
古屋哲夫 「日露戦争」
P.111この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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