|
閣議、対清・対韓政策を決定
1903/12/30
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用十二月三十日の閣議は、開戦の場合の清国および韓国に対する方針を決定した。
まず清国は日本の側に参戦させることなく、中立をとらせるのが得策だとした。
清国を日本側に参戦させればいろいろな利益があるが、ロシアとの戦争ということから欧米人への民衆の反抗、
すなわち、先の義和団事件を再現しないともかぎらない。
そうなると清朝への革命内乱に至るかもしれず、そうした情勢になれば列強はたちどころに干渉を始め、
利権奪取に狂奔することはまちがいない。
この間、日本はロシアとの戦争に専念するほかはないということになれば、清国分割にたち遅れ、
福建の拠点さえ失うおそれも考えられる。
つまり、列強の利権を全身にしょい込んでいる清国を動かしては、分割を促進することになるから、
中立をとらせ、秩序と統一を保たせるがよい、というのであった。
それは中国分割への対応という、日露戦争の基本的性格を端的に示すものにほかならなかった。
いいかえれば、列強の現状を動かさないように戦争を局限しようということであった。
清国はこの勧告をいれて開戦直後の翌年二月十二日中立を宣言、日本政府はまた、戦闘区域をも遼河以東にかぎろうと努めた。
【中略】
韓国については「如何ナル場合ニ臨ムモ実力ヲ以テ之ヲ我権勢ノ下ニ置カザルベカラズ」とした。
しかしこの場合もできるだけ「名義ノ正シキヲ選ブヲ得策トスル」から、攻守同盟あるいは保護的協約を結ぶがよい、
といってもそれが成功するかどうかわからないし、たとえうまくいっても、韓国皇帝が一貫してこの協約を守ることは、期待しがたいから、
結局、帰するところは実力のいかんということになろう、と書いている。
ここで「名義ノ正シキ」というのは、韓国政府から依頼されたというかたちをとって、
朝鮮を占領し、駐留する方が、列強から文句をつけられる心配がなくて得策だというのである。
ところが韓国皇帝は日本に反感をもっており、反日派の勢力も強い、また九月には韓国皇帝は日露両国に使者を送り、開戦のさい、
韓国の局外中立をみとめるよう要請するなどの動きもあらわれていた。
こうした情勢のなかで、日本側がもっとも心配したのは、日清戦争の翌年に皇帝がロシア公使館に逃げ込み、
親日政権打倒を命じたような事態が再現することであった。
十二月には、京城では、皇帝がロシアの同盟国であるフランス公使館に逃げ込むのではないか、という風評が流れていた。
もし、皇帝がフランス公使館から日本の出兵を不法と宣言するような事態が起これば、日本としては、
はなはだやりにくくなることは眼にみえていた。
とすれば京城の早期占領は、こうした事態を防ぐ政治的意義をもってくる。
古屋哲夫 「日露戦争」
P.82この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
http://www.c20.jp/
おたよりはこちら |