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【テーマ・内閣成立史 03】
クリック 20世紀
●高橋内閣の成立 (原内閣の終焉)
戦後恐慌や立て続けに発覚する疑獄事件、宮中某重大事件にもかかわらず、絶対多数を得た政友会に支えられた原内閣は磐石と見えた。 ところが、内閣はテロの刃にその主を奪われ、総辞職のやむなきにいたった。 病に伏す元老山県は原の訃報を聞き落涙、西園寺公望を呼んで出馬を懇請するも、西園寺はこれを受けず、 後継首相の推薦だけを引き受けた。西園寺は、議会第一党である政友会から、高橋是清蔵相を選んだ。 こうして高橋内閣は成立した。 ◎キングメーカー:西園寺公望(元老)
●加藤(友)内閣の成立 (高橋内閣の終焉)
高橋首相は、財政家としては有能な人物だったが、政権党のリーダーとしての資質にはまったく欠けていた。 原総裁をテロで失い、高橋を後任に据えた政友会は内部対立を激化させ、それは閣内でも表面化していた。 高橋はこれを内閣改造で乗り切ろうとしたが、反高橋派の中橋文相、元田鉄相が辞職を拒否、高橋内閣は閣内不統一であっさり崩壊した。 高橋派は再度高橋に組閣命令が下ると読んでいたが、誤算だったのは西園寺が病に倒れたことである。 代わって後継首相の推薦にあたることになった松方は、ワシントンからもどった加藤友三郎海軍大将を第一候補、 野党憲政会の加藤高明を第二候補とした。これを知った政友会幹部は、 ライバル党に政権を渡さないため、首相になるよう加藤友三郎を説得しなければならなかった。 こうして加藤(友)内閣は成立した。 ◎キングメーカー:松方正義(元老)
●山本内閣②の成立 (加藤(友)内閣の終焉)
組閣のとき加藤友三郎はすでに胃ガンであった。この日本海海戦の連合艦隊総参謀長は、残るわずかな時間のすべてを国家に捧げるかのごとく、 シベリア撤兵と軍縮と推進し、そして斃れた。内田首相臨時代理によって、加藤(友)内閣の幕引きが行われた。 この頃元老西園寺公望は、憲政会総裁加藤高明を嫌っており、この議会第二党に政権を渡すことは考えていなかった。 さりとて、内部抗争を続ける政友会に政権をゆだねることも考えられなかった。 残る選択肢は中間内閣であった。西園寺は後継首相に山本権兵衛海軍大将を推薦した。 こうして、関東地方に激震が襲った直後、山本内閣②は成立した。 ◎キングメーカー:西園寺公望(元老)
●清浦内閣の成立 (山本内閣②の終焉)
関東大震災の痛手から首都がようやく立ち直ろうとし始めたとき、アナーキストが摂政宮を襲った。 摂政宮にけがはなかったが、山本首相は責任をとって内閣を総辞職した。 総選挙が目前に迫っていた。西園寺は、なお内部抗争を続ける政友会に政権を渡すより、 公平な選挙を実施するため、非政党の選挙管理内閣をつくろうと考え、官界の長老清浦奎吾を後継首相に推薦した。 政友会の支持が得られず、また世論の批判も高まったため、清浦は辞退を考えたが、摂政宮が自ら説得にあたった。 こうして清浦内閣は成立した。 ◎キングメーカー:西園寺公望(元老)
●加藤(高)護憲三派内閣の成立 (清浦内閣の終焉)
またも政権を逃した政友会は、その内紛が決定的段階を迎えていた。 反高橋派はついに党を割り、清浦内閣の与党として政友本党を結成するにいたった。 高橋派は、加藤高明の憲政会、犬養毅の革新倶楽部とともに、「護憲の戦い」を開始していた。 選挙結果は護憲三派の圧勝だった。西園寺は政友会の分裂を嘆きつつ、第一党となった憲政会の加藤高明を後継首相に推薦した。 加藤は選挙をともに戦った政友会、革新倶楽部に連立を申し入れ、合意を得た。 こうして加藤(高)護憲三派内閣は成立した。 ◎キングメーカー:西園寺公望(元老)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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