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虎の門事件
1923/12/27
taro's トーク
ああああああ
引用十二月二十七日議会の開院式に出席する為、摂政宮のお召自動車が虎ノ門近くにさしかかったとき、
群衆の中から一人の青年がとび出して、ステッキの仕込み銃を自動車めがけて発射した。
同乗の入江為守侍従長が顔に負傷しただけで摂政には異常がなく、犯人の難波大助はその場で取り押えられた。
彼は長州の名家に生まれ、父は庚申倶楽部所属の難波作之進であった。
彼は中学時代には皇室を崇拝していたが、中学五年生のとき陸相田中義一が帰省の際、
小、中学生を沿道に整列させたことに憤慨して、社会主義の方に転じて行った。
大正八年上京後はテロリストを志願し、権力者に反省せしめる為皇室を襲うことを考えたものである。
事件後、大助の父作之進は代議士を辞して自宅の門に青竹を結んで閉門の身になった。
大助は翌年十一月十三日、大審院で死刑を宣告され、十五日執行された。
この事件は基盤の浅い山本内閣をゆすぶった。
後藤内相の私邸は又しても右翼の壮士に襲われ、内閣は十二月二十九日総辞職した。
豊田穣 「西園寺公望(下)」
P.188この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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