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美濃部 達吉
1873 - 1948
[ みのべ・たつきち ]
憲法学者、東大教授、貴族院議員、憲法問題調査会顧問
エピソード 1調査中。
引用美濃部は、明治六年に相生の松で有名な高砂で生れた。
父は漢方医だった。一高に入学したときは、一年生のときチフスを患い、一年間まるまる休学したが、
二年への編入試験に及第し、そのまま二学年に入った。
明治三十年、東京帝国大学法科大学を卒業したときは二番だった。
学校のことは一向に勉強せず、酒ばかり呑んでいたためだという。
この点、女郎屋から通った上杉とは、勉学の点では似たり寄ったりだ。
美濃部は上杉より六年先輩であった。
【中略】
明治三十二年、美濃部はヨーロッパに留学、大部分をドイツで暮したが、
ハイデルベルヒ大学のイエリネックの学説に傾倒した。
美濃部にイエリネックの「人権宣言論」の訳業があるほどだ。
上杉慎吉もイエリネックの家に下宿していたのに、帰国後、それとは反対説を唱えたことと対照的である。
明治三十五年に帰朝した美濃部は帝大法科教授に任命され、翌年、当時の文部大臣で、
数学の菊池大麓の長女と結婚した。仲人は一木喜徳郎であった。
一木は仲人は一切しない主義だったが、美濃部のときだけは例外で媒酌人を買ってでたという。
両人の関係が単に学説の継承を超えていたことが分る。
松本清張 「昭和史発掘(6)」
P.127この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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