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池田蔵相ら渡米
1950/04/25
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
「早期講和の後、日本およびアジア地域の安全保障のため、米軍が日本に駐留する必要があるのであろうが、
もしアメリカ側がその希望を申し出にくいならば、日本政府がそれをオファーする方法を研究してもよろしい。
この点について、憲法学者の研究を参照しているが、米軍駐留を講和条約中に規定できれば、憲法上問題は少ない。
別個の形で米軍駐留を約束することも、日本憲法に違反するものではない」というのであった。
その池田のワシントン到着は、二十五年(一九五〇)の四月二十七日であった。
随行したのは、秘書官の宮沢喜一(のち経企長官、外相、官房長官)であった。
大蔵省出身ながら英語に練達で、国際情勢にも通じている宮沢は、池田が各方面の人びとにあえるようにアレンジした。
まず池田が会ったのは、陸軍次官のヴォーリーズであった。
【中略】
つづいて会ったアイケルバーガーは、第一軍司令官として、日本にいた。
【中略】
池田は宮沢と相談した結果、吉田覚書は、ドッジ公使に提出するのがよいと判断した。
ドッジは国務省では公使、陸軍省では顧問という肩書きであったからだ。
そのドッジに池田が会ったのは、五月三日の午後、そのオフィスであった。池田は、
「早期講和の声が、世論の上で強まりつつある。
だが共産党、社会党は、ソ連はじめ共産主義国家を加えた全面講和を主張している。
吉田内閣は、多数の国家が講和に加わるのを望んではいるが、かといって、ソ連の参加などを求めていけば、
いつ講和ができるかはかり難い。
その間、ソ連など日本を敵視する国まで参加している占領下に置かれる。
これはたえ難いことだ。
それに占領が長期にわたって継続すると、内政干渉や反米感情などが蓄積して、日米間に亀裂が入りかねない。
そうした実情から、吉田総理は早期講和を希望している」と述べ、覚書をドッジに手渡した。
それに目を通したドッジは、私見として、
「今、米ソ関係は、極端に悪化している。
そういうさい、日本を独立させるのは危険であるという軍事的配慮を、外交的配慮よりも優先させる。
これは、やむを得ない。
講和には反対ではないにしても、それが、ソ連に対するアメリカの軍事的立場を、弱める結果になってはならないと、
ワシントンでは考えている。
こうした状況が消えて、可能な条件がととのい、早い時期に講和ができる事態になるよう、自分は願っている」
戸川猪佐武 「小説 吉田茂」
P.314この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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