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ドッジ、経済安定9原則実施について声明
1949/03/07
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用ドッジはデトロイト銀行頭取で、自由主義的経済政策の信奉者であり、ドイツ占領軍の軍政部財政部長を務めた経験があった。
ドッジ・ラインの背景には、敗戦後の激しいインフレがあった。
敗戦直後には臨時軍事費特別会計の放漫な支出、その後は傾斜生産方式による復興金融金庫融資が通貨増発をもたらし、
インフレの原因を作っていた。
日本政府は生産拡大を優先し、段階的にインフレ収束を図る漸進的な「中間安定論」を唱えたが、
結局インフレ収束に主眼をおくアメリカ政府の「一挙安定論」が優勢となった。
アメリカは、冷戦の中で日本を反共陣営の一員として強化するため、経済の「自立化」「安定化」を図る政策に転換した。
そのあらわれが、四八年の経済安定九原則であり、これを具体化したのがドッジ・ラインであった。
来日後の内外記者団との初会見で、ドッジは「日本の経済は両足を地につけていず、
竹馬にのっているようなものだ。
竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。
竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首を折る危険がある」と述べ、
アメリカの援助や復金融資・価格差補給金などの削減を示唆した。
また「為替レートの実施はできる限り早く公式に設定されることが望ましい」と述べ、単一固定レートの設定を主張した。
四八年に再開された日本の貿易は占領軍の管理する国営貿易で、為替レートは商品ごとに異なっており、
貿易拡大のためには単一固定レートの設定が不可欠だった。
ドッジ・ラインは、まず超均衡財政によるインフレ収束をめざした。
四九年度予算は歳入超過となり、その黒字は国債や復金債の償還にあてられた。
国債・復金債の大半は日銀が所有していたため、通貨は日銀に吸収されて収縮した。
一方、公共支出増大の主因だった復興金融金庫は、四九年三月で融資を停止した。
また、従来アメリカの援助物資の売却代金は貿易資金特別会計に計上され、輸出入への補助金の役割を果たしていた。
これを停止し、援助の売却金は見返資金特別会計に積み立てさせ、復金債の償還などにあてられた。
四九年四月には一㌦=三六〇円の単一為替レートが設定された。
ドッジ・ラインが実施された結果、通貨増発要因は解消してインフレは一気に収束した。
しかし、復金融資の停止やデフレーションで倒産・解雇があいつぎ、「ドッジ不況」がもたらされ、
朝鮮戦争による特需景気まで回復しなかった。
一方、均衡財政は六五年(昭40)まで、一㌦=三六〇円の固定レートは七一年まで継続するなど、
ドッジ・ラインの影響は高度成長期まで残された。
佐々木隆爾 「昭和史の事典」
P.214この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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