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斉藤隆夫「反軍演説」
1940/02/02
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用一九四〇年(昭和15)二月、斎藤隆夫は再び演台に立った。
小柄でもの静かな村夫子の風貌ながら、その演説は暗夜の雷明のごとくである。
すでに二年半、十万の犠牲を出している支那事変という「聖戦」の欺瞞を彼は衝いた。
「我が国民は実に従順であります。
悲憤の涙を流しながらも黙々として、政府の統制に服従するのは何が為であるか。
政府が適当に事変を解決して呉れるであろう。これを期待して居るが為である。
・・・・・・然るに、歴代の政府は何を為したか。
この二年有半の間に於て三度内閣が辞職をする、政局の安定すら得られない。
斯う言うことで、どうして此の困難に当ることが出来るのであるか」。
議場は興奮し、芦田は体がふるえるほど感動した。
両政党は斎藤の立場を支持し結集して軍部支配をはね返すべきだと芦田は信じた。
しかし、事実は逆であった。
斎藤議員に対する懲罰動議が提出され、両党の多数がそれに追随した。
これを許せば、政党政治の終焉を意味する。
真実を語る斎藤を失ってはならない。
芦田は「ひとりになっても反対する」と起ち上がった。
懸命の戦った末、芦田は二九六対七で惨敗した。
そのうえ青票を投じた芦田や牧野良三ら五名は、党議拘束を破った科で政友会から除名処分を受けた。
七名のあからさまな反乱者のほかに、斎藤除名に反対して欠席した議員が一四〇名もいた。
このときに欠席したため離党勧告を受け、それを拒否して除名処分を受けた社会大衆党員には、
片山哲、西尾末広、水谷長三郎、鈴木文治ら八名がいた。
戦後の片山と芦田の連立内閣は、いわば斎藤反軍演説に殉じた者の同窓会と見ることも可能である
(皮肉なことに、その時点で斎藤自身は吉田自由党との連携に走るが)。
五百旗頭真 「占領期」
P.344この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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