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巡洋艦「春日」、「吉野」に衝突、「吉野」沈没
1904/05/15
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用五月なかばになると、連合艦隊は、マカロフの怨霊に祟られたように、つぎつぎに災厄に見舞われた。
五月十二日、大連湾ふきんで掃海をしていた第四十八号水雷艇が、ロシアの機雷に触れて沈没した。
五月十四日、おなじ海域で掃海隊を援護していた第五戦隊の通報艦「宮古」(一八〇〇トン)が、やはり触雷して沈没した。
五月十五日、出羽司令官の第三戦隊が、旅順沖から裏長山列島へ向かう途中、濃霧のなかで、
二等巡洋艦「吉野」の左舷に、一等巡洋艦「春日」が艦首から衝突して、「吉野」は艦長以下三百余名を乗せたまま沈没した。
同日、旅順沖のパトロールに出た第一戦隊司令官梨羽時起少将(兵学校期外、のちに中将)座乗の戦艦「初瀬」が老鉄山南東で触雷し、
つづいて戦艦「八島」も触雷して、両艦とも沈没した。
さらにこの日、第一艦隊の通報艦「竜田」(八六〇トン)が大連北東六十キロの光禄島南東岸にのし上げた。
五月十七日、砲艦「大島」が濃霧のなかで砲艦「赤城」に衝突されて沈没した。
同日、第一駆逐隊の「暁」が、老鉄山沖で触雷して沈没した。
十二日から十七日の六日間に、合計八隻、総トン数約三万五千トン、人員八百四十三名が海の藻屑と消えたのである。
とくになんと言っても、主力艦の「初瀬」「八島」がやられたことが、大きな痛手であった。
生出寿 「知将 秋山真之」
P.241この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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