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大東亜会議開催
1943/11/05
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用大東亜会議は、十一月五日、六日の二日間、帝国議会議事堂で開かれた。
議長席に東條が座り、式の一切は日本側の手で進んだ。
東條自身がもっとも得意の絶頂にあったのは、このときだったろう。
首相退陣後、彼はこの大東亜会議をしきりに話したし、昭和二十年九月に自殺未遂を起こしたとき、
彼の応接間にとびこんだMPの眼を最初に射たのは、このときの会議の写真である。
この会議の初めに、東條は、いつものかん高い声で、「英米のいう世界平和とは、
すなわちアジアにおいての植民地搾取の永続化、それによる利己的秩序にほかならない」と言い、
日本はその解放者であり、独立を援助する救世主だと説いた。
そこにはルーズベルトやチャーチルに向けての意味もあった。
つづいて各国の指導者が演説した。
ラウレルは「中国が速やかに統一され、三億五千万のインド民衆がボース氏指導のもとに完全に独立し、
再びイギリスの支配に帰するがごときことのないよう希望する」といい、
ビルマのバーモも同意した。
しかしラウレルの演説のなかに、日本の軍部の占領行政を批判した部分があったが、
それは、不思議なことに東條には訳されなかった。
翌六日、自由インド臨時政府を代表してボースが発言した。
インド民衆は、イギリス帝国主義に抗して自由を戦いとらねばならぬといったあと、
「岡倉覚三(天心)および孫逸仙(孫文)の理想が
実現に移されんことを希望する」と結んだ。
雄弁に長けている彼は、この戦争を自国の独立運動、アジアの解放に結びつけ、
日本の自存自衛の戦争だけではないぞと宣言したのである。
ボースの演説が終わると、東條は発言を求め、
彼にしては珍しく芝居気たっぷりにメモを読んだ。
「帝国政府はインド独立の第一段階として、もっか帝国占領中のインド領アンダマン諸島およびニコバル諸島を、
近く自由インド臨時政府に隷属せしむるの用意ある旨を、本席上において闡明する」―。
ボースの表情が大仰に喜色にかわり、自由インド臨時政府の幹部たちと肩を抱きあった。
それは彼のスケジュールが成功したことを物語っていた。
来日するや、東條に、アンダマン、ニコバル諸島への自由インド臨時政府の進出を許可してほしいと訴えつづけ、
それを受けいれた東條は、この日の午前中に連絡会議を開いて、
急遽、ボースの申し出を受けいれることを決めたのである。
国土をもたなかった自由インド臨時政府は、これによってはじめて自国の領土に足がかりをもつことになった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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