|
錦州爆撃
1931/10/08
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用陸軍は、若槻内閣の不拡大方針、円満処理などの方針を無視し、
満州事変をいっそう拡大していった。
これに張学良が対抗した。
彼みずからは北京にいて、錦州に司令官代理張作相をすえ、政府主任に米春霖を任じ、これをあやつって、親日家に対するテロ、
北満への武力投入、ゲリラ戦の展開、各都市の不安醸成などをはかった。錦州は対日戦線の大きな基地と化した。
関東軍は十一台の飛行機を飛ばして、錦州に八十個の爆弾を投下し、市内の学校や病院を破壊した。
十月十八日のことである。
戸川猪佐武 「小説 吉田茂」
P.36この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
http://www.c20.jp/
おたよりはこちら |