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ドイツ議会、ドーズ案を承認
1924/08/29
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用ドーズ計画は、財政家としても著名な米国のC・ドーズ准将を長とする委員会が立案したものである。
その背景には、賠償にかんする連合国側の反省があった。
ルール占領は失敗とみなされた。
その種の「差し押さえ型取り立て方式」よりは、ドイツを復興させて「几帳面な債務国」にしたほうが有利だ、という考えが、
英米両国に有力化した。
英国がH・シャハトの融資要請に応じたのも、その発想にもとづく。
とくに米国にとっては、ヨーロッパの大国であるドイツは巨大な資本市場である。
融資は「ビジネスライク・ディール」(実務的取り引き)だとみなして、ドーズ准将を専門委員会の委員長に派出した。
ドーズ計画は、賠償支払いとドイツの通貨安定のための五ヵ年計画、ともいうべきもので、
主に米国からドイツに八億金マルクの借款を供与する。
この八億金マルクで「レンテンマルク」を清算して金本位制を確立し、新たにドイツ中央銀行を設立する。
賠償は、初年度の十億金マルクから毎年増額して五年目には二十五億金マルクとするが、
その額はドイツ経済の健全化、産業の振興にあわせてきめる。
また、計画実施のために鉄道、国立銀行を連合国の管理下に置き、
総監督官として米国の財政家P・ギルバートをベルリンに駐在させる・・・・・・。
このドーズ計画は、いわば破産に瀕した大会社を更生させるために債権者集団が強力なテコ入れを決意したようなものである。
ドイツ側からいれば、復興が目的である以上は八億金マルク以上の融資も当然に期待され、
こんごの「借金生活」が約束されたといえる。
引用二四年はじめ、ドーズを議長とする委員会が動きだし、賠償問題の解決策が模索された。
こうして作られたドーズ案は、賠償総額を変えずに、ドイツの支払能力を考慮して、当分のあいだ、年間支払い額を少なくするものだった。
第一年目は一〇億マルク、その後しだいに増え、五年目には本来の年二五億マルクとなるものだった。
それは、同年九月から実施されることになった。
しかしその現実化のためには、ドイツ経済が順調に発展することが必要だった。
そこでドーズ案は、さらに、アメリカをはじめとする民間資本の導入をはかることにした。
いわゆる「ドーズ公債」であり、八億マルク(約二億ドル)の大半がニューヨーク市場で起債された。
この功績で、ドーズは翌二五年にはノーベル平和賞を与えられ、またアメリカの副大統領にも就任した。
こうして二四年には、世界経済がうまく回転するようになった。
世界の貿易高は、数量的に戦前を上回るようになり、金額では四倍も増加した。
またドイツがドーズ案実施にともなって、新平価で金本位制に復帰したのにつづき、
イギリスも翌二五年春に金本位制に復帰した。
アメリカは、ヴェルサイユ条約が調印された直後の一九年七月に復帰していた。
いまや世界経済は「相対的安定期」は入ったのである。
ドイツ経済も急ピッチで成長しはじめ、二七年には国民純生産が戦前の水準を上回るにいたった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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