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伊藤博文射殺事件
1909/10/26
~ 安重根の動機 ~
「祖国の独立と東洋和平」のため、「乙巳保護条約」締結を強制した伊藤を暗殺
taro's トーク
ああああああ
韓国内の反日感情は激しく、不穏な空気が各地にひろがっていた。
十月二十六日、伊藤はハルピンにおもむいて車中でロシア蔵相ココフツェフと車中会談後、
駅頭で各国領事と握手をかわし歓談した。
その折、一人の男が走り寄り、突然、短銃を発射した。
加害者は、統監をはじめ日韓協約に調印した韓国大臣の暗殺を同志と誓い合っていた韓国人安重根で、
かれの発射した三発の弾丸は、第一弾が伊藤の肺臓、第二弾が胸腹、第三弾が上腹部に命中した。
吉村昭 「ポーツマスの旗」
P.351この本を入手
引用伊藤は四十二年十月十六日満州開発の可能性視察の為、大磯の自宅を出て下関に向い、
鉄嶺丸で大連に向った。
同月二十五日、北上し、ロシア蔵相ココウツォフと東清鉄道等に関し協議する為、
二十六日午前九時ハルピン駅に着き出迎えたココウツォフと車内で二十分間懇談した後、プラットホームに降り、
川上領事の先導で、露清両国軍隊、各国外交団、露清文武大官、日本人歓迎団体が整列している中を進み、
用意された馬車の方に進もうとしたところ突然とび出して来た男の為に狙撃され、
腹部に三発の弾丸をうけて中村(是公)満鉄総裁の腕の中に倒れかかった。
直ちに車内にかつぎこんで手当をしたが、間もなく意識不明となり午前十時死亡した。
犯人は安重根という朝鮮人の独立党員で彼は旅順の日本法廷で裁判にかけられ次の十五ヶ条を伊藤博文暗殺の理由としてあげ、
翌四十三年三月二十六日、同地で死刑に処せられた。
一、朝鮮王妃の殺害、二、韓国保護条約五ヶ条、三、日韓新協約七ヶ条、四、韓国皇帝の廃立、五、陸軍の解散、
六、良民殺戮、七、利権剥奪、八、教科書廃棄、九、新聞購読禁止、十、銀行券の発行、十一、三百万円国債の募集、
十二、東洋平和の攪乱、十三、保護政策の名実伴わざること、十四、日本先帝孝明天皇を殺害したること、
十五、日本及び世界を瞞着したること。
いずれも日本の植民地主義者にとって耳の痛いことであるが、
孝明天皇(慶応二年十二月二十五日没)の死まで伊藤の責任とするのはいかがなものであろうか。
豊田穣 「西園寺公望(上)」
P.402この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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