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伊藤博文国葬
1909/11/04
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用伊藤の遺体は大連から軍艦秋津洲で横須賀に運ばれ、十一月四日日比谷公園で国葬が行われた。
葬儀の途中から雨となり、天も明治最大の政治家の死を傷むかの如くで、会葬者の悲しみを新たにさせた。
井上が采配をふるい、桂総理のほか山県、松方、大山、大隈、板垣らすべての元勲の生き残りが参列し、
明治の終焉を思わせた。
豊田穣 「西園寺公望(上)」
P.403この本を入手
引用明治日本の最大の国難であった日露戦争の際、
明治天皇が最も頼りにされたのは枢府議長伊藤博文であった。
だがその伊藤も明治四十二年十月ニ十六日、ハルピンで朝鮮人のために暗殺されてしまった。
これには明治天皇もつよい衝撃を受けられたと思われるが、『明治天皇紀』(芳川弘文館刊)にはその記述はない。
しかし、その後に示された天皇の思召しの深さを見れば、御愛惜の情がどんなに痛切であったかがよくわかる。
すなわち、軍艦をもって遺骸を東京に護送させ、十一月一日、遺骸が東京に帰ると、
直ちに勅使を遣わして弔問させ、御沙汰書及び誄詞(生前の功績を賛えその死を悼む詞)を霊前に下し、
十一月四日、国葬の礼を以って厚く弔わせられている。
ここまでは非命に斃れた一国の元勲に対しての当然の処置かもしれない。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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