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「山本宣治(上)」
参考書籍
発行: 汐文社(1974/12/30)
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書籍: 単行本(352ページ) 目次: はじめに
1 生い立ち (明治二二年~明治三六年)
2 園芸見習時代 (明治三十七年四月~明治四〇年五月) 3 カナダ時代 (一九〇七年五月~一九〇八年七月) 4 カナダ時代 (一九〇八年七月~一九〇九年一一月) 5 カナダ時代 (一九〇九年一一月~一九一一年3月) 6 同志社普通学校時代と結婚 7 三高・東大時代 (大正三年九月~大正九年七月) 8 生物学者時代 (大正九年~大正一一年一二月) 9 生物学者時代 (大正一二年一月~大正一三年一月) あとがき |
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バンクーバーでの大逆事件報道
引用山宣がまだハイスクールの受験勉強に一生懸命であった一九一〇年六月上旬、天皇暗殺計画の「大逆事件」として宮下太吉、
新村忠雄、古河力作、幸徳伝次郎、管野スガおよびその連累者新田融、新村善兵衛が起訴されたという報道が晩香坡でも英字新聞などで報道された。
当初は関係者は以上の七名のみで他には関係者はないだろうという日本政府関係者の談話を報じていた。
佐々木敏二 「山本宣治(上)」
P.170
大逆事件、裁判の経緯
引用幸徳秋水ら二六名の予審が終結し、予審意見書が大審院に提出されたのは一九一〇年一一月一日であり、
一二月一〇日から大審院での公判が開始され、一二月二五日に検事求刑、全員死刑、一二月二七日から弁護側の弁論がはじめられ二九日最終弁論、
翌一九一一年一月一八日には判決言渡で、二名の有期懲役(新田融、新村善兵衛)以外は全員死刑が宣言された。
その翌日に「天皇のおぼしめしによって」ということで坂本清馬以下一二名が死一等を減ぜられて無期懲役となったが、
幸徳、森近、宮下、新村、古河、奥宮、大石、成石平四郎、松尾、新美、内山は判決言渡の一週間後の一月二四日に、
管野スガはその翌日二五日に死刑を執行された。
佐々木敏二 「山本宣治(上)」
P.171
引用山宣は英字新聞や日本から送られてくる『万朝報』『朝日新聞』などの新聞に毎日ふれる位置にいたし、
また所属している第一ユニテリアン教会にはたくさんのキリスト教社会主義者がおったから、
【中略】 イギリス、アメリカでの抗議行動を他の日本人よりも詳しく知っていたであろう。
かねてから日本の官憲が社会主義の文献を発禁にし、言論を圧迫していることに憤慨していた山宣にとって、
天皇暗殺の計画が行なわれたという名目で、
事件に直接関係のない者までが社会主義者であるというだけで死刑や無期懲役に処せられるということは耐えられぬほどの苦痛であったであろう。
そして将来日本に帰った時の自分のことを考えてみると、冷汗の流れるようなゾットする気持を何度となく感じたことであろう。
山宣の心には、幸徳事件につづく一連の日本での思想圧迫の事実が暗雲のように重くのしかかっていた。
佐々木敏二 「山本宣治(上)」
P.175
「花やしき」の繁栄
引用「花やしき」は多年、千代、せいをはじめ美人の女中で評判をとり、
多年の文学趣味もあって文士、画家、学者に愛され、経営は順調、発展の一路を走っていた。
この頃「花やしき」を訪れた竹久夢二(山宣と神戸中学時代同級生)は多年や千代の絵を描いているし、
少し時代はすぎるが島村抱月と松井須磨子が京都で『復活』を上演した時には、多年は一座の人々を「花やしき」に招待し、
女中たちは一座のものにカチューシャの歌を教えてもらっている。
新京極での「ワンプライスショップ」が京都での商人道徳の改善に結びついていたと同様に、
宇治での芸者の出入を許さなかった「花やしき」の経営方針は、当時の旅館業のなかでは独特のものであった。
佐々木敏二 「山本宣治(上)」
P.191
引用マーガレット・サンガー女史(米国産児制限会長)は、大正一一年八月ロンドンで開かれる「万国産児制限会議」に出席する途中、
三月上旬から四月上旬にかけて日本を訪問することになった。
【中略】 この頃の山宣は安田と共同で「性学読書会」をはじめる計画をたて、
性科学に関する欧米の雑誌や単行本を大量に手に入れて読みまくっていた時期であり、
すでに外国の文献から産児制限法や、無産者が産児制限に関する知識を求めていること、などについては知っていた。
サンガー来日にあたって山宣は改造社主催の演説会の通訳をたのまれていた。
【中略】
しかし内務省当局は、産児制限は「産めよふやせよ」の国策に反するという立場から、
「サンガー夫人が横浜埠頭に上陸するとさっそく持参の宣伝パンフレット『家庭制限法』何万部を全部押収し、
それから夫人を内務省によびつけて、産児制限の宣伝演説を日本帝国領土内でやってはならぬと厳重に申しわたした。
こういう事情で改造社主催の講演会は中止になり、せっかくの山宣の通訳もおじゃんになった。
ただ前約のあった京都市医師会主催の医師および薬剤士に限った特別講演会だけは当局から特に許可になったので、
山宣はこわれるままにサンガー夫人の通訳をした」(『山本宣治選集第三巻』安田徳太郎、解説)。
結局サンガーは、医師、薬剤士のみを対象とする講演会を八回したのみで日本を去っている。
佐々木敏二 「山本宣治(上)」
P.280
引用アインシュタインは改造社の招待で来日し、東京での講演日程をすませ入洛、一二月一〇日京都岡崎公会堂で石原純博士の通訳で講演した。
山宣が安田徳太郎をつれてアインシュタイン夫妻を都ホテルに訪問したのはその日の晩のことである。
佐々木敏二 「山本宣治(上)」
P.288
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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