|
コミンフォルム、ユーゴスラビア共産党を除名
1948/06/28
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用ティトーとスターリンとの不和は、すでに終戦の年から起こり始めていた。
不和の原因はトリエステ問題をめぐってであり、ティトーは、ソ連が適切な支持を与えてくれないことに不満をいだいた。
しかもティトーが、ユーゴ共産党の独立性を守り通そうとするにつれて、両者の不和は拡大していった。
ついに一九四八年春、ソ連側が軍事・技術顧問を本国に引き揚げ、ティトーとその一党を、
理論的誤謬とソ連への敵対行為という理由でコミンフォルムから除名するにおよんで、不和は公然たる衝突となった。
そしてこれに続いて、ソ連とユーゴとのいっさいの経済的・軍事的紐帯が切断された。
今津晃 「概説現代史」
P.334この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
http://www.c20.jp/
おたよりはこちら |