|
昭和電工㈱日野原節三社長逮捕 (昭電事件)
1948/06/23
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用化学肥料の王手メーカーである昭和電工に対し復興金融金庫(復金)から融資された三十億円という巨額の融資をめぐって、
まるで密にたかる蟻のようにGHQ係官、政治家、関係閣僚がむらがってワイロをとったというのがこの事件の刑事的側面である。
明らかになったワイロの額だけで七千万円、その他に三億五千万円の使途不明金があるというのだから、
その底の深さははかり知れない。
また「段ボール箱に二箱、綴じにして五十冊以上の東京地検調書がアメリカに運ばれている」という事実は、
GHQが事件によほど深くかかわっていたことを示している。
なかでも経済科学局(ESS)は復金をコントロールしていただけでなく、集中排除法による大会社の分割、賠償指定など、
日本の企業に対して生殺与奪の権限を持っていたのだから、ここが贈賄の対象としてねらわれたのは当然であった。
GHQは大会社のトップ人事にも介入し、昭電の森暁社長が公職追放になった後釜に、
若い日野原節三(日本水素社長)を押し込んだのはGSである。
日野原の義兄が菅原通済で彼は芦田内閣の黒幕だから、GS-ESS-昭電-芦田内閣というつながりが生まれた。
これに対し追放された森派はG2とつながり、そのG2は吉田の自由党を支持していたという関係になる。
日野原が湯水のようにバラまく賄賂の行方をG2はお手のものの諜報網で追跡しGSの勢力失墜をはかった。
だが早々と結末をいってしまえば、昭電事件で命をとられたのはGSではなくて芦田内閣であった。
閣僚のうちから経済安定本部長官栗栖赳夫が逮捕され、またさきに土建献金事件の容疑で辞表を出していたとはいえ、
副総理だった西尾が収容されては内閣はもちこたえられなかった。
一つの内閣を崩壊させた大事件でありながら、昭電事件そのものの結末はかなりあっけない。
日野原、栗栖らは贈収賄で有罪(執行猶予)となったが、西尾は無罪、とばっちりを食ったかたちで起訴された自由党前幹事長
大野伴睦も無罪となった。
GHQ関係者はもちろん一人も起訴されていない。
悪者にされたのは日本側だけである。
事件の渦中にあった西尾は後年次のようにいう。
「G2は事件の拡大をはかり、GSはこの事件を日本政府内部の大疑獄事件として印象づけるため、
捜査上いろいろの指示を与えたであろうことは、常識的にも想像できる」。
つまりGS、とくにケーディスは、自分に火の粉がふりかかって来た以上、それを払うためには、
これまで支持してきた芦田「中道」内閣を犠牲にすることも敢えてしたのであろうというわけである。
この観測は正しいであろう。
ケーディスは鳥尾元子爵夫人との間に浮名を流してはいたが、
昭電事件については「白」だという自信を持ち続けていたようである。
だが、それを証明するには捜査を進めさせる以外なかったということであろう。
「潔白」が証明されたときのケーディスの喜びようを細川隆元(当時社会党の渉外部長としてGHQと党とのパイプ役をしていた)は、
次のように語る。
「ある日ケーディスが司令部にいった筆者をとらえて『細川君、きょうはうれしいニュースがあるから君も喜んでくれ給え。
CIC(対敵防諜部隊)で昭電事件にからんで僕を調べていたが、これこの通り僕には一片の疑いもないことが判明した』と
CICから来た公文書を示して躍り上って喜んでいた・・・・・・」
袖井林二郎 「マッカーサーの二千日」
P.250この本を入手
引用昭電事件の捜査と取調は、事件とからむ総司令部要人の姿を浮びあがらせた。
GSの局長ケーディスは、元子爵鳥尾啓光夫人鶴代(のち多江と改名)との艶聞をうたわれていた。
日野原は、新橋の芸者秀駒をひかして杉並区和泉町の妾宅にかこっていたが、秀駒は、
鳥尾夫人が経営する銀座のスミレ洋裁店の常連であった。
日野原は、鳥尾夫人の手引でGSの要人を杉並の妾宅にまねき、ありとあらゆる饗応で彼らの歓心を買っていた。
彼らにたいする工作のために日野原がつかった金額は、二五〇〇万円をこえたといわれた。
もし日野原が社長のイスにすわった一年間に費消した機密費の額をあげるならば、復金の第一次融資七億九〇〇〇万円にたいして一五〇〇万円、
第二次融資五億五〇〇〇万円にたいして三五〇〇万円、第三次融資七億五〇〇〇万円にたいして三五〇〇万円という巨額であり、
行方不明の額は三億五〇〇〇万円であった。
総司令部にまでくいこんだ日野原社長の行動は、復金融資の工作がいかに大がかりなものであったかをあきらかにしていた。
しかし、昭電事件と総司令部の関係は、GSとG2の年末の対立がからむことにより、いっそう複雑な様相を呈していた。
【中略】
昭和電工と総司令部の関係は、前社長森暁の時代にさかのぼっていた。
森は、G2との接触が多かった。日野原社長は、GSに接近した。
G2は、早くから、ケーディスを陥れることによってGSに打撃を加えようと画策していた。
のちに警視総監となり国警長官となる斎藤昇が山梨県知事から内務次官に転任したときというから、まだ前年も二月のころ、
総司令部の関係部局にあいさつにいった斎藤をつかまえたケーディスは、
「どうも最近警視庁の警察官がわれわれ駐留軍人の女友達やその身辺をしらべている風評がある」といって警告した。
斎藤は、「進駐軍物資を日本の婦人のもとにはこぶ将校がいるという投書にもとづいて、
その事実と証拠をかためるためのものだったが、その結果は違法でないことがわかったので、
捜索は打切った」とケーディスに報告してごまかしたが、よくしらべた結果、
内務省の調査局長が警視庁の警務部長に依頼してしらべさせていたことがわかった。
依頼のそもそもの出所は、G2に多くの友人をもっている当時の吉田内閣の某要人であり、
彼がG2といっしょになってケーディスを日本から追い払おうという策謀であった。
G2によるケーディス追放の策謀は、だから昨日にはじまった話ではなかったが、昭電事件があかるみにではじめたそのとき、
G2の策謀はいっそう執拗になった。
斎藤は、すでに警視総監になっていたが、G2は、刑事部長の藤田次郎をつかってケーディスを尾行させた。
ケーディスは斎藤に抗議し、斎藤は藤田を皇宮警察にうつしてケーディスの怒りをおさえた。
ケーディスは、昭電事件の飛火が自分にかかってくることをおそれた。
アメリカ新聞の特派員は、しきりに昭電事件に総司令部の要人が関係しているという記事を本国に送っていた。
斎藤昇は、新警察制度の発足とともに国警長官となっていたが、九月二〇日、総司令部公安課からよびだしをうけた。
公安課は、斎藤に「昭電事件の捜査をすみやかに停止して国警にうつすべし」と命令し、
警視庁の捜査がことごとく外部にもれていることを非難した。
斎藤は、国警には捜査の権限がないと答えたが、なお「GSの意見も再考してもらいたい」といって辞去した。
翌日、ケーディスが斎藤をよびつけ、同様の要求をしながら、国警が昭電事件の捜査をすることについて国内で異論をとなえるものがあっても、
総司令部はあらゆる部局をあげて支援するであろう、とつけ加えた。
斎藤は、「総司令部がいかに日本の各機関に圧力を加えても、裁判官に圧力を加えることはできないであろう」と答え、
「私の見解によれば、違法な捜査をおこなわせたということにより、この事件は法廷において支離滅裂となるであろう」と主張し、
「貴官のほうで法的に正しいとかんがえるなら、もういちど総司令部の法務局の責任ある意見をきかしてもらいたい」と希望して帰ってきた。
翌日、総司令部法務局の意見は斎藤と同じであるということになり、国警には捜査の権限がないということを総司令部自身がみとめたため、
ケーディスの圧力は無に帰した。
【中略】
昭電事件を追求する捜査陣は、九月に入って事件の核心にせまってきた。
信夫清三郎 「戦後日本政治史Ⅲ」
P.847この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
http://www.c20.jp/
おたよりはこちら |