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梅津・何応欽協定
1935/06/10
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用日中相互の大使館昇格が実施された直後の五月二五日、
支那駐屯軍はすでに五月二、三日におこっていた親日派新聞社長らが天津で暗殺された事件をとりあげ、
それが「蒋介石系統の策動」によることが明らかになったとして、
国民党機関の華北からの撤退などを要求する方針をきめた。
これに対して国民政府軍事委員会北京分会長何応欽は、結局六月一〇日、日本側の要求をうけいれ、
河北省からの国民党機関、中央直系軍、抗日的な旧東北系の于学忠の第五一軍の撤退、
河北省政府の保定移転などの措置をとるに至っている。
なお、日本側ではこの措置を支那駐屯軍司令官梅津美治郎の名をとって、
「梅津・何応欽協定」によるものと称しているが、
両者が調印した文書があるわけではなく、ただ日本側の要求を中国側が実行したというだけのものであった。
古屋哲夫 「日中戦争」
P.98この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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