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非暴力運動①開始
1919/04/06
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用ガンディーは二十二年にわたる南アフリカでの生活に別れを告げ、一九一五年、故郷インドに帰ってきた。
彼は南アフリカにおけるインド人の差別待遇を撤廃せしめるため、サティアグラハ運動を指導してきた。
アティアグラハとは真理をつかまえるという意味であり、危険にさいしてもけっして暴力を用いない非暴力のたたかいをさすのであった。
ヒンドゥー教本来の精神は非暴力であり、絶対に自己を抑制することを原則とする。
彼はこのヒンドゥーの教えからサティアグラハの運動を編み出し、みずからその先頭に立った。
ガンディーは、このサティアグラハ運動でローラット法に対して抵抗する決心をした。
「闘争にあっては忠実に真理に従い、生命、人格、財産に対する暴力をつつしむ」という規律をまもりながら
インド政庁の悪法に従うことを拒否する、というのがこの運動の要点である。
あらかじめ定められたハルタルの日、四月六日、ほとんどインドの全地方でハルタルは整然とまもられた。
たかをくくっていたインド政府は、この整然たるハルタルに驚き、にわかに民衆を圧迫しはじめる。
ガンディーもまた、四月九日逮捕された。
まもなく釈放はされたが、ガンディー逮捕の報道はたちまち反英運動に火をつける結果となり、
各地において激昂した民衆は、サティアグラハをのりこえ、暴動化する勢いをみせた。
四月十一日、ガンディーは民衆に対して深い警告をあたえた。
「これはもうサティアグラハではない。
もし非暴力をもってじゅうぶんにこの運動ができなかったのなら中止すべきだったのだ」とし、
民衆の暴行の償いのため三日間の断食をはじめた。
村瀬興雄 「世界の歴史(15)」
P.462この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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