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大浦内相辞任
1915/07/25
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用第12回総選挙のあと政友会の村野常右衛門が大浦内相を選挙法違反と収賄罪で告発した。
引用大正四年五月二十日第三十六議会が開かれ、懸案の二個師増師は可決された。
野党は対支外交がわが国の威信を失墜したとして、内閣不信任案を提出したが否決されると、
大浦内相の収賄をとりあげ、内相の弾劾案を提出した。
政友会の村野常右衛門代議士は大浦を選挙法違反と収賄罪で告発した。
大浦が今回の選挙において丸亀市から立候補した白川友一の対立候補を断念させた謝礼として、
白川から金一万円を受けとったというのである。
さらに大浦は前の議会で増師案を成立させる為、政友会の代議士を脱党させ、大正倶楽部を作らせる為実弾をとばしたことも発覚した。
六月末、白川ら十数名の新旧代議士が拘引され、七月二十九日剛腹といわれた大浦も辞職し、
すべての公職をなげうって隠退した。
彼は起訴猶予となったが翌年十月一日山県系藩閥政府のお目付役として捧げた生涯を閉じた。
大隈内閣は七月三十日総辞職したが、元老会議の留任勧告によって、加藤、若槻、八代の三大臣が辞め、
大隈が外相を兼任(十月十三日石井菊次郎)、蔵相・武富時敏、海相・加藤友三郎、
内相・一木喜徳郎、逓相・箕浦勝人、文相・高田早苗というメンバーに改造し、八月十日再発足した。
豊田穣 「西園寺公望(下)」
P.75この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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