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大隈首相、大浦農商務相を内相に起用
1915/01/07
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用この前年(大正三年)十二月七日召集の第三十五議会で、海軍の予算案は通ったが、
岡市之助陸相と宇垣一成軍事課長の苦心にも拘らず、陸軍の二個師団増設案は政友、国民二党の反対によって葬り去られ、
大隈は議会を解散、翌四年三月二十五日総選挙ということになった。
大隈は警察官僚で、第二回総選挙の干渉で悪名の高い大浦兼武農商務相を内相専任として選挙の取締りに当らせる一方、
井上を通じて三井三菱の金(『原敬日記』によると百六十万円)を放出せしめ買収に努めた。
その甲斐あってか、総選挙の結果は与党の大勝利となった。
同志会の百五十名を中心に三百八十一の議席の内与党は二百四十一名と過半数を制した。
政友会は大隈側の恥を知らぬ買収(直前に一人五千円を贈ったという)や干渉(新聞の多くは政府側についた)の為に大敗を喫し、
八十名を減じて百四名となってしまった。
国民党も五名減じて二十七名となり、憲政擁護の旗印を掲げて国民の支持を得て来た両党はここに大きく後退し、
大正デモクラシーの前途は楽観を許さぬものとなって来た。
豊田穣 「西園寺公望(下)」
P.74この本を入手
引用青島攻略の戦勝気分に乗り、この年3月、総選挙が実施された。
大隈首相は主要停車場に展望車を止めて車上から与党候補を応援、さらに演説録音のレコードを候補者に配る録音演説戦法を編み出した。
さらに前例のなかった首相、閣僚大動員の応援態勢を敷き、大隈伯後援会を全国に広げた。
財閥の資金を受け、与党候補者に公認料を出す先例をつくり、養嗣子信常が出馬した前橋では投票前日、
全有権者に電報を打ち勝敗を決めた。
一方で選挙干渉も大々的に行った。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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