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桂太郎ら外遊出発
1912/07/06
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
桂外遊の動機は徳富蘇峯によると、「外交上の私的使節(桂は表面上ロシアと話し合って東洋平和の基礎を固めると言っていたが、
実は自分に馴染みの深いドイツと攻守同盟を結ぶつもりであったといわれる)の意味もあったのであろうが、その真意は、
従来の政友会との妥協政策に困り、飽きて、新生面を開く為自ら新政党を創立しようと考えたもので、
洋行は自分の態度に一段落を画する為のもの」であって、「要するに彼の洋行は彼が政治的未来記の玉手箱なりし也」となっている。
芸術家やスポーツマンが行きづまったりスランプに陥ったとき、山の宿に長期滞在したり、
寺に籠ったりして打開の道を求めることがあるが、桂の洋行も同列であって、白柳は「こうして桂は、
刻一刻政友会と相対立して、政界を両分すべき大政党の首領として擬せられつつある自己の発見を、急ぎつつあった」と見ている。
桂の一行は大連から満州を経てシベリア鉄道で七月二十一日ペテルブルクに着いたところで
「天皇陛下十四日より御病気の処二十日御重態となる」という報を聞いた。
一行は心配していたが、その後稍御軽快となるとの報で旅程を早めようとスイスまでの切符を買ったが、
病勢険悪との急電で、二十八日の特別列車で急遽ペテルブルクを出発日本に向った。
豊田穣 「西園寺公望(上)」
P.418この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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