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桂首相、新党結成計画発表
1913/01/20
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用第四次伊藤内閣において加藤が初めて外相になったのは、伊藤と三菱の関係によるものである。
そして第一次西園寺内閣にも外相となったのは政界を去る伊藤の置き土産であった。
加藤はこの内閣で三菱の利益を守る為、鉄道国有法案に反対して内閣を去った。
しかし、今回西園寺の敵である桂の内閣に登場してきたのはなぜか。
桂が元老政治の限界を知って新政党を組織しようと考えたのは、
右の鉄道国有法案の頃からだといわれる。
桂よりも三菱が元老の力だけには頼れず、政友会と拮抗する力のある政党の育成を考えた為と言ってもよいかも知れない。
三菱系策士の最初の政治結社である戊申倶楽部が出来たのは明治四十一年であるが、
この中から片岡直温(日本生命保険創立者、憲政会代議士)仙石貢(鉄道官僚、九州鉄道社長)ら土佐派代議士が出て憲政本党に合し、
準三菱党といわれる立憲国民党が出来るのが四十三年三月である。
この頃から桂と国民党を結ぼうという動きが見られたが、国民党は創立のときから民党に徹する理想主義の犬養と、
大合同をして大政党をめざす豊川良平(三菱の大番頭、銀行、郵船、水力、肥料等を経営)、大石正巳(改進党系、第一次大隈内閣の農商務相)、
片岡、仙石らとは分裂していた。
豊田穣 「西園寺公望(下)」
P.10この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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