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徳田書記長暗殺未遂事件
1948/07/19
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用一九日、日本共産党の書記長徳田球一が佐賀市公会堂で演説中、聴衆席から手製の手りゅう弾を投げつけられ、
全身に三八ヵ所という傷をうけた。
徳田は、数分のあいだ控室に避難してから演説をつづけ、終って治療をうけたが、軽傷であった。
犯人は、まもなく佐賀市警察署に自首したが、志賀一郎とよぶ二八歳の青年であり、
佐賀県東松浦郡にある大鶴炭鉱の炭鉱夫で日本反共連盟大鶴青年宣伝部に所属する右翼であった。
日本反共連盟は、前年から活動を開始していたが、前年一一月に結成された大鶴青年部は、連盟のなかでも最も活動的な組織であり、
平素はもっぱらストライキ破りや反組合活動に従事していた。
志賀は、「今年のメーデーのとき徳田球一・志賀義雄・紺野与次郎の暗殺を計画したが、旅費がなくてできなかった」と語っており、
徳田の狙撃は、十分に用意した計画であった。
大鶴青年部は、八月一四日に解散を命じられたが、反共連盟そのものは、なお存在をゆるされていた。
しかし、一九五一年一〇月に追放を解かれる赤尾敏が指導者となって名称を大日本愛国党とあらためるまでは、めだった活動は何もしなかった。
信夫清三郎 「戦後日本政治史Ⅲ」
P.826この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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