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アメリカ軍、ペリリュー島上陸
1944/09/15
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用海軍はまだ率直に戦況の非を悟っていったが、
陸軍は一個師団対四十三個師団のサイパンの作戦にも、なお望みを繋いで勝利を期待していた。
そして太平洋上至るところで玉砕に次ぐ玉砕を続けた。
その中で一きわ勇戦奮闘して、米軍の心胆を寒からしめ、世界戦史に「驚嘆」の賛辞を残したのが、
昭和十九年九月十五日米軍が上陸したペリリュー島の守備隊中川州男大佐(戦死後二階級特進、中将となる)の
歩兵第二連隊(水戸)の戦闘であった。
幸い米軍の上陸までに、短いとはいえ四ヶ月の準備期間があった。
そのため数線の陣地を孤島の中に準備し、第二線陣地には厚さ二・五メートルのセメントの掩蓋を作って大砲や機関砲を入れ、
水際での早まった突撃はやめて、徹底した奥行の深い戦法で、米軍が奥に入ってくれば入るほど損害が多くなる戦闘を行った。
その結果、九月十五日以降、十一月二十四日の中川州男大佐の自決に至るまでの二ヶ月以上を
一個連隊を基幹とする部隊(約五千名)で、米軍二個師団と押しつ押されつの戦闘を繰り返して、
文字通り米軍に悲鳴をあげさせただけでなく、山口永少尉以下三十四名は、
連隊があらかじめ作った最後の砦である地下壕や洞窟を利用して、ゲリラ戦に転じて昭和二十二年四月二十一日まで
戦闘を続けていたのである。
堀栄三 「大本営参謀の情報戦記」
P.143この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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