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キーロフ(レニングラード・ソビエト議長)暗殺 (粛清開始)
1934/12/01
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用キーロフ暗殺の真の原因がなんであったかは容易にわからないが、ただキーロフ暗殺の結果だけは明らかである。
つまり、キーロフただ一人の死に「復讐」するために、大量の共産主義者が死なねばならなかったことである。
「エジョフシチナ」の名でよばれる大量粛清の嵐が、やがてソ連社会に吹きすさぶのである。
村瀬興雄 「世界の歴史(15)」
P.200この本を入手
引用十二月一日、スターリンの片腕と目されたキーロフがレニングラードの党本部で暗殺された。
この暗殺は、フルシチョフの有名な「秘密報告」(一九五六年二月)によると、奇怪な謎に包まれており、
あきらかに偶然ではない仕組まれた犯罪行為だったという。
レーニンは共産党員には死刑を適用しないように注意を与えていた。
それは守られていて、反スターリン派は投獄されたり流刑になったりしても、死刑にはならなかった。
キーロフが暗殺されると、スターリンはその日のうちに刑法を改正し、
政治的暗殺事件は弁護人なしの非公開裁判で死刑を宣告できるようにした。
スターリンは、キーロフを殺すことによって、自分のライバルをすべて死刑台へ送りこむ法律を手に入れた。
ジノヴィエフとカーメネフがキーロフ暗殺を仕組み、スターリン暗殺を企てたという理由で血祭りにあげられた。
スターリンの首斬り役をつとめたのは、エジョフで、一連の粛清はその名をとってエジョフシチナと呼ばれた。
そのエジョフも一九三八年十二月に内務相を解任され、その後任となったベリアによって消された。
三好徹 「夕陽と怒濤」
P.324この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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