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蒋介石、北伐開始
1926/07/09
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用二四年以来、北京政府は奉天派・安徽派・国民軍(馮玉祥)の三派連合が支配していたが、
民衆運動の高揚につれて国民軍はしだいに革命側に傾き、その支配地域では労農運動が比較的自由に発展していた。
二五年十一月、奉天派の郭松齢が張作霖に反逆して国民軍と手を結んだために、奉天派との間に戦闘がはじまった。
北京政府が左傾した国民軍に握られることを恐れた日本は、張作霖を支援して公然とこの戦闘に干渉するとともに、
イギリスと協力して直隷派と奉天派の連合を成立させた。
二六年四月、国民軍を北京から追い払った直・奉軍閥は、ただちに反帝国主義民衆運動に対する徹底的な弾圧にとりかかった。
五月に開かれた第三回全国労働大会は国民政府に対して「速やかな北伐」を要請している。
【中略】
かくて一九二六年七月九日、国民革命軍総司令蒋介石によって全軍(約十万)に動員令が発せられ、
「帝国主義と売国軍閥を打倒して人民の統一政府を建設する」ための北伐戦争が開始された。
北伐軍は怒濤の勢いで進撃した。
内部が腐敗しきっているうえに相互に利害の対立していた軍閥軍は、革命の意気に燃える北伐軍の前に、
つぎつぎに各個撃破されていった。
まず湖南に進攻した北伐軍の主力は、七月十一日に長沙を、十月十日には武漢を占領して湖南・湖北の呉佩孚軍を一掃した。
九月に湖南から江西に向かった中路軍(蒋介石指揮)は直隷派の孫伝芳軍の主力を粉砕しつつ十一月八日に南昌を占領して
江西省を手中に収めた。
さらに十月に広州を出発して福建に進んだ東路軍(何応欽指揮)は十二月九日福州を、翌年二月十八日には杭州を占領し、
中路軍とともに三月二十四日孫伝芳の本拠地南京を陥落させた。
その直前の三月二十一日には東路軍の一部が帝国主義最大の牙城上海郊外に到着した。
北伐軍はいたるところで民衆の歓迎を受けた。
民衆は敵情報告、道案内、物資輸送に積極的に協力し、軍閥軍の輸送・通信を妨害した。
なかには北伐軍の到着前に蜂起して軍閥軍を追い散らしたところもある。
軍閥が一掃された地域ではどこでも労働者・農民をはじめとする民衆運動が激しく燃えあがった。
小島晋治・丸山松幸 「中国近現代史」
P.112この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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