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対華21ヵ条要求
1915/01/18
~ 目的は1つ ~
旅順・大連と満鉄は中国からの借り物、返還期限を延ばしたかった
+元老・軍部・財界などからの要求 → 21ヵ条
taro's トーク
ああああああ
引用一九一四年、第一次世界大戦が始まった時、日本は連合国側に加担し、
ヨーロッパの戦場では戦わず、東アジアや太平洋地域のドイツの植民地を奪った(そして、
他の同盟国にはそうさせないようにした)。
これらの戦利品の最大のものは、山東省のドイツの支配領域で、青島の重要な軍港と貿易港を含んでいた。
そこで、日本軍は、ドイツ軍と大戦中唯一の地上戦をした。
しかも、カイゼルの小さな守備隊と戦い、ほんのわずかな代償を払っただけで、
無気力になった中国本土の要地―孔子の故地に、根拠を築いた。
一九一五年一月、ヨーロッパ大陸での戦いがヨーロッパの植民地宗主国に出血を強いている時、
日本政府はますます大きな試み―全中国に対する独占的支配を企んだ。
日本政府は、独裁者袁世凱に、最後通牒をもって「二十一ヵ条要求」をつきつけた。
その用紙には大砲の絵がすかし模様で書かれていた。
服従しないなら、武力がものを言うぞ、という威嚇である。
袁はいくらかの外交的駆け引きをした後、もし要求を十分に呑んだら東京の保護国におとしめられてしまう、
これらの不当な強要の前に腰を屈した。
彼の心は国家の存亡にあったのではなく、彼みずからの戴冠への企みにあった。
引用一九一五年一月、日本は中華民国大総統袁世凱に対して、二十一ヵ条の要求をつきつけた。
山東におけるドイツの権益処分、南満州の既得権益を二十五年から九十九年に延長、中国の政治、財政、軍事に日本人を顧問とする、
必要な地方における警察を日華合同とするなどという途方もない要求だった。
この二十一ヵ条要求は、大隈重信内閣によるものだったが、日本と中国との不幸な関係は、
じつはこのときに始まったといっていいのである。
この二十一ヵ条要求ほど、心ある中国人を憤激させたものはなかったし、それが二十数年後の戦争の伏線ともなったのだ。
三好徹 「夕陽と怒濤」
P.22この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「対華21ヵ条要求」は「21ヶ条要求」「21カ条要求」「21か条要求」「二十一ヵ条要求」「二十一ヶ条要求」「二十一カ条要求」「二十一か条要求」と同じ意味です。 http://www.c20.jp/
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