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国連総会、パレスチナ分割案を採択
1947/11/29
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用さて1945年に戦争は終わりました。
するとイギリスは、「パレスチナ問題に関する解決能力はなし」と自ら認めて、ゲタを国際連合に預けてしまうのです。
1947年、その国連はパレスチナ分割案を提示します。
その分割案を見たときに、みんなはびっくりしました。
それは、明らかにユダヤの側に有利なものだったからです。
すなわちユダヤ人にあてられた場所は、水資源があって農耕などに向いている場所だったのに対し、
長年このへんに住んできたパレスチナ人には、ほとんど砂漠に近い領域しか認められなかったのでした。
国際連合はユダヤ人の肩を持っちゃったんですね。
そしてそこにはアメリカの強烈な後押しがあったのです。
とくに大統領トルーマンの意図が強く働いていました。
「だって君、アラブの肩を持ったって、票にはならんだろうが」。
そうですね、これは1947年の話。
翌年の1948年には大統領選挙が待っています。
選挙に勝つためには何が必要か。
いろいろありますけれども、絶対になくてはならないのが、アメリカに住んでいるユダヤ系アメリカ人の支持なのです。
当時のアメリカには、約600万人のユダヤ系アメリカ人がいました。
人口比でいうと3%未満のマイノリティーに過ぎないのですが、このユダヤ系アメリカ人には、
政界・財界・マスコミ、あるいは学界で活躍している人たちがたくさんいました。
引用一九四七年一一月、国連総会において、パレスチナを「ユダヤ人国家」と「アラブ人国家」に分けてそれぞれ独立させる、
パレスチナ分割決議案が可決された。
この決議案は、当時パレスチナの土地の六パーセントしか所有していなかったユダヤ人に国土の五六パーセントを与えるものであったが、
シオニストはこれにも満足せず、四八年五月イギリスの委任統治が終わると同時に、
国境を明示しないままイスラエル国家の樹立を宣言した。
周辺のアラブ諸国はこれに抗議してただちに攻撃を始めたが、この第一次中東戦争でイスラエルは定められた「ユダヤ人国家」の
一・五倍の面積をもつ領域を占領し、勝利をおさめ、現地住民からの組織的な土地の収奪をただちに始めた。
木村英亮 「二〇世紀の世界史」
P.165この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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