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中野正剛逮捕
1943/10/21
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用いまや東條には、中野は目障りだった。
このまま野放しにすれば議会で何を言いだすかわからないと恐れた。
二十六日からの第八十三帝国議会の開会前にその動きを封じたいと考えていた。
しかし警視庁から届く報告は、中野の容疑はひとつとして固められないというのである。
議会召集日の前日、二十五日の夜、東條は首相官邸に安藤紀三郎内相、岩村通世司法相、松阪広政検事総長、
薄田美朝警視総監、四方諒二東京憲兵隊長を集め、中野正剛の処置を打ち合わせた。
このとき、東條は戦時に準じて法解釈すべきだと、松阪と薄田に詰めよった。
「警視庁からの報告のていどでは身柄を拘束して議会への出席を止めることはできない」
と松阪は拒み、薄田も同調した。
そこで東條は四方に意見を求めると、四方はそくざに「私のほうでやりましょう」と応じた。
それは議会に出席させないための罪状をつくりあげようという意味であった。
そして二十六日早朝、中野の身柄は憲兵隊に移され、四方は腹心の大西和夫に「二時間以内に自白させろ」と命じた。
午前中に拘留手続きをとらなければ、中野の登院阻止ができないからだった。
大西と中野がどのような会話をしたのかは明らかでない。
だがある憲兵隊関係者は、中野の子息を召集し最激戦地に送り込むと、大西が脅迫したという。
妻、長男、次男の三人をこの三年の間に亡くしていた中野は驚き、
それで憲兵隊の意に沿うような証言をしたとしている。
中野と親しかった人物が、昭和五十二年に岐阜に住んでいる大西をさがしだし、
脅迫的に証言を迫ったが、彼は震えるだけで決して詳細をもらさなかったという。
この日の夜、自宅に戻った中野は、隣室で大西ともうひとりの憲兵に監視されていたが、秘かに自決した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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