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遵義会議
1935/01/13
~ あああ ~
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用長征が中国革命史上に占める最大の意義は、
毛沢東の指導権の確立、いいかえれば中国の大地に根ざす路線が、
絶対的な権威をかざしてきたコミンテルンの指導をしのいだことにある。
その転機となったのが、三五年一月十五日から貴州省遵義で開かれた中共政治局拡大会議であった(遵義会議)。
出席者は秦邦憲、張聞天、王稼祥、周恩来、陳雲、朱徳、劉少奇、凱豊、鄧発、毛沢東、李富春、劉伯承、林彪、
聶栄臻、彭徳懐、楊尚昆、李卓然、鄧小平、それにリトロフとその通訳伍修権である。
席上、毛沢東は第五次囲剿戦以来の党中央の「極左冒険主義」的軍事指導をきびしく批判して、その責任を追求した。
秦邦憲とリトロフは頑固に誤りを認めようとしなかったが、
一貫して党中央の路線を守ってきた周恩来が自己批判して敗北の責任を認め、
会議の大勢は毛沢東支持に傾いた。
その結果、総責任者に秦邦憲に代わって同じくソ連留学派の張聞天が選ばれたが、
毛沢東も政治局常務委員に復活して軍事を担当し、長征の過程をつうじて、
軍事面でも政治面でもしだいに党の指導権を確立していった。
小島晋治・丸山松幸 「中国近現代史」
P.148この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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